酒徳峰章@なでしこは、音楽に目覚めて家具にハマる

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言語デザイナーと呼ばれる人は日本にも何人かいますが、「日本語プログラミング言語」をつくったのは酒徳峰章さんが初めてではないでしょうか。「クジラ飛行机」としていくつもの人気ソフトを開発してきた彼は、そのドタバタ人生が結構笑えます(失礼!)。しかし、その素顔は、好青年で愛妻家です。

プログラミングとは、夢を実現する手段である
■『プラレス3四郎』を目指し、MSXのために新聞配達
― すてきなお住まいですね。
さ ありがとうございます。今年の初めに引っ越しまして、妻と2人で内装にいろいろと手をかけました。例えばこの部屋(上の写真左)は畳の下に収納ボックスが敷いてあるのですが、このボックスですとか、こっちの部屋の本棚(写真中)も手作りなんです。最近は家具をつくるのに凝ってしまって。
― やっぱり、きちんと設計してから作り始めるんでしょうね。CADのようなソフトを使ったりして。
さ 私はそうしたいんですけど、妻は目見当で始めてしまい、それが妙にピタリとサイズが合うんです。ベランダが広いので(本当に広い)、そこでのこぎりを使ったりしています(笑)。
― ところで(笑)、先日は未踏(IPAの未踏ソフトウェア創造事業)の話を中心に聞きましたので、今回はプログラミングを始めたきっかけから。
さ はい。中学のころに友人の家にあったMSXです。何かを入力したら画面のデモが動いたんですよ。自分の思ったとおりに画像が動くわけでしょ。『プラレス3四郎』(当時のアニメ)みたいにロボットが動かせるんだと思って、新聞配達を1年くらい続けてMSXを買いました。6万円くらいだったと思います。

■中国での作曲のためにプログラミングを本格化
― 入り口はゲームだったわけですね。最初はどんなプログラムを?
さ MSX についていた入門書から入力して「数当てプログラム」をつくりました。それからはMSX-BASICで「数当て」を拡張させて、競馬のシーンで馬を動かしたりとか。それから自分でゲームをつくり始めて、友達にフロッピーで売るようになりました。1枚500〜1000円くらいでしたが、MSXの元は取れたかどうか(笑)。
 ゲームはもともと好きで、プログラミングする前からノートにびっしりとゲームを書いていたんです。特に迷宮を探検するようなものですね。
― 

ゲームブックですね。一時期はかなりはやりましたね。
さ はい。そのノートを見せて、友達が喜ぶと、やっぱりうれしくなりますよね。そんなノートを何冊も書いていて、実際にプログラミングを始めたら、「ページの3 に飛んで、次に5に入って……」などのゲームブックの仕組みが、BASICの行番号と似ていることに気づきました。「そっくりだなあ」と思って、プログラミングに抵抗はなかったです。
 その後は、音楽に目覚めてしまいました。小学校からクラシックギターを習っていたのですが、中学でロックに転向です。バンドを組んで、MSXで作曲も始めました。ギターで弾いたフレーズを、MML(Music Macro Language)という言語を使い、PC上で楽譜にしていくのです。どうにも私は気に入ると突っ走ってしまう性格のようで、それからは作曲ばかり。今までに何百、何千曲をつくったかわかりません。
― どのくらい続けていたのですか?
さ 中学から高校卒業までです。その後、中国の大学(上海にある華東師範大学)に留学するのですが、現地では留学生が頻繁に変わりますからバンドはちょっと無理で、MSXでの作曲は続けていました。
 あるとき、上海でMSXのフロッピーディスクドライブが壊れてしまったんです。仕方なくWindows 95を買ったのですが、シングルタスクのMSXに比べるとマルチタスクで安定しない。おまけに作曲ソフトもなくて、ならば自分でつくろうと真剣にプログラミングを勉強しました。
― 作曲ソフトがほしくて、中国で本格的にプログラミングを始めたと。
さ はい。書店で中国語のプログラミングの本を買いました。もともとBASICは構文解析が不便だと感じていたのでCに行き、Delphiがいいなと思ってPascalを覚えて。そして出来上がったのが、後にテキスト音楽「サクラ」として公開する前身の作曲ソフトです。
 それからは、別にシーケンサーをもっていたのでリズムマシンや、フレーズをランダムに並べ替えられるフレーズジェネレーターをつくりました。ドラムの音を逆から流したり、音をひとつ飛ばしで出したりするのが、当時ははやっていたんです。

■ドジョウすくいからPCライター、そして「未踏」へ
― 大学を卒業して帰国し、就職したんですよね?
さ 実家の豊橋(愛知県)に戻って中国語を生かせる仕事を探したのですが、これが全然ない(笑)。それで不動産関係の会社に就職してSEになったら、隣の席の事務の女の子が、Excelなどでコピー&ペーストを何度も繰り返しているんですね。プログラムを組めば簡単にできるのにと思って、実際につくってあげたんです。
 それが社長の目に留まって、不動産物件の管理ソフトなどをつくるようになりました。社長がPCに詳しい人でなく、逆に自由な環境で開発させてもらいました。それで、「こんなものがほしい」などと言われてつくっていると、社長がほかの不動産屋にソフトを売るようになったんです。それがひとつ100万とか 150万円ですよ。「プログラマってイケるじゃん!」と思うじゃないですか。嫁を連れて横浜に行き、独立しました。
― 突っ走りますね(笑)。ソフトは売れたんですか?
さ 横浜の不動産業界なんてまったくコネがないので、全然売れませんでした。金はない、仕事はないで、パソコン教室の講師をしたり、小遣い稼ぎ程度の小さな開発案件を請けたり、半年くらいは中国との輸入貿易の仕事もしました。中国からドジョウを輸入するのですが、仕事は輸入されたドジョウをすくって箱に入れるだけ。中国語は必要なくて、本当のドジョウすくい(笑)。
 今振り返るといい経験をさせてもらったと思いますが、フリーソフトをつくってはWebで公開もしていたんです。パソコン雑誌にフリーのソフトを集めた CD-ROMがついていますよね。その使用許可の問い合わせが出版社からくるんですが、その返事に「仕事はありませんか」と書いていたら、ライターの仕事をやらないかと。ソフト100本のレビューを書くなどですが、徐々に割合が増えてきて、コラムなどを担当するようになりました。
― ドジョウすくいからPCライターに転身ですか(笑)。そんな中で「未踏」を知って、「ユース」に応募して採択され、「天才」になると。この辺の話はリンクで飛ばすとして(笑)、現在の「なでしこ」と「葵」はどんな感じですか?
さ 今は「なでしこ」がメインですね。月々3000〜5000のダウンロードがありますし、コツコツと開発を続けて、毎月、あるいは1カ月に何度かバージョンアップしています。ユーザーの方との交流会も開いているんですよ。
 仕事としてはウノウと八角研究所で働いていますが、毎日出社しているわけではなく、なでしこを含めて主に自宅開発です。デスクに向かったり、床にあぐらをかいて打ったり、近くの公園のベンチで開発することもあります。最近では「クジラ飛行机」名義での本の執筆も多くなってきたので、文章を書いていることも多いですね。
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