ASIMOの祖先・兄弟10体が休息する空間

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日本を代表する2足歩行ロボットとして、ASIMOを知らない人はいないだろう。そのASIMOに至るまでのHondaのロボット開発の歩みを、順を追って見られるのが、栃木県の「ツインリンクもてぎ」にある「ファンファンラボ」である。

■初号機は「自分の脚の採寸」から始まった
 もはや「歩く」のは当たり前。軽やかに踊る、最高時速6kmで走る、走りながらスムーズに方向転換するなどのパフォーマンスをこなし、今年初めには、複数体のASIMOが協調・連携して、道順を自分たちで判断しながらお客さんを案内し、飲み物をサーブするといった高度な技も披露してみせた。そんな ASIMOに至るHondaの2足歩行ロボットの生みの親と言えるのが、ロボット開発のチーフを務めてきた広瀬真人氏。中途採用でHondaに入社したとたん「鉄腕アトムを作れ」と言われて驚いた、というのは有名な話である。

 「正直『できるわけがない』と思いました。でも、やらせてもらえるなら面白いとも思ったんです。
 最初に書いた企画は大失敗で、当時の社長にかなり怒られました。人型ロボットなんてものを考えたこともない。とりあえず人の輪郭を描いて、その中に適当にメカを描き入れてみたんです。そうしたら『設計図になってない、動くはずがないだろう!』って。まあ、当然ですよね(笑)。
 けれど、前の会社なら社長なんて雲の上の人。そんな人が、直接あれこれ言ってくれるのがうれしくもあった。その後、悶々として部屋で考え込んでいると、突然社長がやってきて、『どうだ、進んでるか。だいたいな、身体で考えないとダメなんだよ』と、また怒られたんですが」

 そしてなんとか作り上げたのが、1986年のE0である〔写真1〕。
「どんな寸法バランスで作ればいいのかも手探り。実はこのE0は、私自身の脚をメジャーで測って作ってあるんです。あとから『短いですね』と言われたり……」
 まだ姿勢制御のコントロールはなし。身体の重心が常に接地した足裏にある「静歩行」で、しかも一歩に約5秒もかかった。それでも、ここにHondaのロボットは「第一歩」を踏み出したのである。

■「脚型ロボット」から、ついに「人型」へ
 その後のE(experimental)シリーズ開発の中で、Hondaのロボットは歩行の理論を掘り下げ、E2、E3において人と同じように重心がなめらかに移動する「動歩行」を実現。続くE4〜E6で、なめらかで安定した動きを得る制御技術を確立していく。
「Eシリーズ後期から『そろそろ発表したいな』と思い始めていました。けれど当時の社長に『お前らが開発したいのは人型だろう? 下半身しかないじゃないか』と言われて」

 こうして開発されたのが、人型を実現したP(prototype)シリーズである。すでにEシリーズ後期で、将来荷物を運搬することも考え、50kg程度の鉛板を乗せた試験もしていたので、上半身の搭載自体にあまり不安はなかった。「初めての人型」P1〔写真3〕は、写真で比較すればわかるように、下半身はほぼE6のまま〔写真4、5〕。しかし、上半身の機能については、かなりの議論があったという。

「私は、身体をひねったりかがんだりできるよう、腰の関節をぜひ入れたかった。しかし、周りは『上半身を支えられない』と猛反対。リーダーの一存で進めては士気にかかわるので多数決をとったんですが、結果は、賛成は私だけ、私に気を使ったか副リーダー格の2人が意見保留、あとは全員反対です。
 口惜しくてねえ(笑)。『なんでみんなわからないんだよ』ってね。通勤途中、考え込んで普段と違う駅で降りちゃって、15分くらい歩いて、やっと気付いたり。
 ただ、『今回は付けないが、次は付けるぞ。オナカは空けとけ』と言い張って、だから、P1はそこがスカスカ。いわば次期開発予定地になってるんですよ。けれどそれを除けば、新たに付けた手を使ってドアの施錠もできる。消火器も扱えた。当時としてはとてもよくできたロボットでした」