暑くない。蒸し暑くない。北京五輪の現場で驚くことは数あるが、一番は気候になる。北京は四方を山に囲まれた盆地。夏は暑く、冬は寒い典型的な内陸性気候だ。夏のとんでもない蒸し暑さは、大気の汚染問題とともに、北京五輪最大の問題だと言われた。

 ところが、どうだ。特にこの4,5日間の最近の北京は、避暑地を思わせる爽やかさだ。不快指数は高くない。夜は冷房を切ってもまだ寒いくらいで、僕は布団までしっかり掛けて寝ている。

 大気汚染もどこへやらだ。空気はクリア。光の抜けも良い。晴れれば空の青さも際だつほど。あれだけ心配されたマラソンも、女子は何の問題もなく終了した。

 プレイする側にとってはもちろん、観戦する側にとっても、これはとてもありがたい話だ。プレスカード保持者ではない、観客の1人として北京を訪れている僕には、それが痛いほどよくわかる。

 五輪はそもそも、観客にとって決して優しい大会ではない。ホテル代は馬鹿高いし、予約は取りにくいし、観戦チケット代も安くないし……。W杯もそうだが「来るなら来てみろ!」と、脅されているようである。しかし、この手のイベントの観戦中毒患者は、この程度ではへこたれない。突き放されるほど、近寄りたがるマゾっ気がある。採算など省みず、つい現地まで足を運んでしまうのだ。

 とはいえ僕は、少し格好良く言えば、ジャーナリストだ。おかしなものにはケチをつけていかなければならない立場にある。五輪の全てを肯定する気はサラサラない。

 では、今回の問題点は何か。1人の観客の立場で言えば「食」になる。例えば、十数万人を飲み込む広大な五輪パークの敷地内に、レストランは一軒もない。地下鉄乗り場にマクドナルドが一軒あるのみだ。その他の売店で売っているものといえば、ヨーグルト、菓子パン、ウインナー、日本で言うところのベビーラーメンぐらいしかない。腹を空かせたままこの敷地内には行ったらアウト。五輪観戦どころではなくなる。

 中国といえば、名物は食。中華料理になるのだが、毎日、競技を観戦していると、それにした鼓をうっている時間はほとんどない。五輪と食はまるで直結していないのだ。オフィシャルスポンサーが「マクドナルド」であることと、それは大きな関係がありそうだが、だったらなぜ1件しかないのか。

 ちなみに会場内に食の持ち込みは禁止されている。ペットボトルも捨てなければならない。スポンサーが「コカコーラ」であることと、これも大きな関係があるそうだ。コカコーラとマックと北京の関係は、決して良好ではない。

 メディア関係者はまだいい。敷地内にあるメディアセンターに行けば、ビュッフェ形式のレストランで食事をすることができる。涼むことだって、休むことだって、うとうとすることだってできる。僕も、この業界の端くれにいる特権で、ゲストパスを利用し、何度か利用させてもらっているが、一般の人はそうはいかない。100%の我慢を強いられている。

 「言葉」も大きな問題だ。中国人で英語を話す人はどれほどいるだろうか。日本人も、威張れたものではないけれど、中国人も似たようなものだ。ただ日本には、カタカナ英語というか、日本語英語という便利なものがある。「ハウ・マッチ」とか「ステーション」とか「スタジアム」とか、日本語の中に溶け込んでいる英語が無数にあるので、キチンとしゃべれなくても、何を言っているのか、おおよその見当はつく。身振り手振りを用いて返答もできるが、全てを漢字に置き換える中国ではそれができない。

 日本語はカタカナ英語の氾濫で、乱れがちだといわれるが、中国語にその手の心配は要らない。少しは乱れてくださいよといいたくなるほど中国語で、どんどん迫ってくる。あるいは、僕を中国人と勘違いしているのか。それとも、日本人なら中国語を話せると思っているのか。

 コミュニケーションの道具は、もっぱら「筆談」になる。メモ帳とボールペンは必需品。漢字に書き起こすと、思いのほか通じるから面白い。しかし、そんなことができるのは日本人だけだ。他の国の人にとって、中国はとても手強い国であるはずだ。コミュニケーションは、ビックリするほど取れていない。

 外国人には、同様に日本も手強い国だと思われているだろうが、客観的に見て、中国には判定勝ちはできそうである。日本語英語、カタカナ英語の存在に感謝すべきなのか。カタカナのない国、中国の不便さを、僕はいま存分に味わっている。


杉山茂樹 / Shigeki SUGIYAMA
1959年生まれ。静岡県出身。大学卒業後、サッカーを中心とするスポーツのフリーライターとして多数の雑誌に寄稿するほか、サッカー解説者としても活躍。1年の半分以上をヨーロッパなどの海外で過ごし、精力的に取材を続けている。著書には、『史上最大サッカーランキング』 (廣済堂刊)『4−2−3−1』(光文社)など多数。