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日本人の心こそ、『世界文化遺産』に登録せよ(2)

日本人の心こそ、『世界文化遺産』に登録せよ(2)
村山古道の路傍(ろぼう)には馬頭観世音(ばとうかんぜおん)の石碑があった。山伏たちはほら貝を吹き、お経をあげる。(撮影:穂高健一、7月2日、静岡県) 写真一覧(5件)
【PJ 2008年07月25日】− (上)からのつづき。全国の修験者(山伏)はおおまかに聖護院、醍醐寺、金峯山寺の3派に分かれる。聖護院(京都)は江戸時代まで、富士山、熊野などを勢力下においていた。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)から、富士山頂にあった大日寺は山麓の村山(静岡・富士宮市)に下ろされ、仏像や仏具は徹底的に打ち壊された。

 近年、村山でも、7月1日の開山祭は盛大になってきた。村山浅間神社でも、神官による開山式のほかに、京都から出向く聖護院の修験者による護摩供養が復活した。しかし、富士山の入峰修行まで及んでいなかったのだ。

 今年、08年7月2日の朝4時15分、11人の修験者による、ほら貝の音が小さな集落の静寂を破った。京都・聖護院からきた修験者たちだ。場所は村山浅間神社にならぶ興法寺(こうぼうじ)大日堂のまえだ。

 修験者と一般参加者を含めた、20数人の読経が終わった。修験者たちのほら貝がふたたび鳴りひびく。聖護院の中村覚祐(かくゆう)執事長が先頭に立ち、村山古道の登山口(標高500メートル)から、入峰修行に出発した。先達(せんだつ、道案内役)は畠堀操八さん(登山家、藤沢市)だ。

 聖護院の修験者による富士山の入峰修行は、1872(明治5)年に修験道廃止令が出されてから数えること、実に百数十年ぶりである。村山の最後の法印(修験者)による修行は1940(昭和15)年ごろらしい。それからは約70年の歳月が経っている。まさに歴史的な瞬間だ。
一度は廃(すた)れた、富士登山道の『村山古道』が、再出発の息吹の瞬間でもあった。

 修験者の一行は、この日は新六合目(約2500メートル)をめざす。予定では12時間の長丁場だ。路傍(ろぼう)には馬頭観世音(ばとうかんぜおん)の石碑がある。山伏たちは立ち止まり、ほら貝を吹き、お経をあげる。一般参加者も唱和する。札打場のケヤキの巨樹に注連縄(しめなわ)が張ってある。参加者全員の名まえが書かれた碑伝(ひで)を下げる。そして、祈祷がはじまった。

 村山古道は集落を抜けると、植林帯がつづき、雨水でえぐられた溶岩と泥濘(ぬかるみ)、梢(こずえ)でさえずる野鳥、足元からはドクダミ草の強烈なにおい、大自然がそっくり残されている。

 修験者の最後尾に位置する、加藤真光(しんこう、紫雲山神光寺)さんがほら貝を吹く。列の中ほどの修験者が駆け合いで、ほら貝を吹く。常にくり返す。修験者はなぜ、ほら貝を吹くのかと、加藤さんに聞いてみた。

 「お釈迦さまが説法するまえに、ほら貝を吹いて、人を集めていました。そこに由来します」と話す。出発のほら、京都の家々を回る寒中ぼら、道中の駆け合いぼらなど、さまざまなものがあると教えてくれた。低音、中音、高音を上手に出すには、年季が必要らしい。【つづく】

■関連情報
ライブドア・デパート:畠堀操八著『富士山・村山古道を歩く』(風濤社)
記者HP:穂高健一ワールド
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※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 穂高 健一【 東京都 】
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