世界初のオンラインシステムが日本で動いた
ベトナム戦争が開戦し、中国では文化大革命が始まり、ミニスカートが世界的に大流行し、アポロ11号が月へ行った1960年代。技術クロニクル(年代記)の第2回は、そんな騒然として華やかな時代の中で始まっていた、日本の「システムエンジニア」の歩みを追います。

東京五輪がエンジニアを育てた
1960年を境に、電子計算機は機械装置から「システム」へ大きな一歩を踏み出した。それを加速させたのはレミントン・ランド(RR)社の「UFCモデル?」(1960年)とIBM社の「システム/360」(1964年)だった。UFC(UNIVACFileComputer)モデル?は真空管とワイヤードプログラムの延長線上にあったが、磁気ドラム装置を接続して大容量のデータとプログラムを内蔵することができた。プログラム内蔵型電子計算機理論を実現した最初であり、データベースという新しい概念を生み出していく。
IBMシステム/360は演算素子にICを採用し、磁気ドラムの代わりに磁気ディスクを装備していた。かつプログラムを入れ替えて事務計算にも技術計算にも適用できる機能を持っていた。「360」という名称が示すように、360度の全方向に使える「汎用」の概念が示された。
もう一つ、この時期の特徴的な出来事は、「ベンチャー」の登場だった。1950年代後半にウイリアム・ショックレーがショックレー半導体研究所を、RR社からウイリアム・ノリスが独立してコントロール・データ社(CDC)を設立。ソフトウェアを専門とするアプライド・データ・リサーチ(ADR)社、システムコンサルタントを専業とするシステムデベロップメント社(SDC)なども相次いで設立され、1960年代に入って大きく成長していった。

■国鉄MARSの衝撃
一般に、「世界最初のオンラインシステムは1964年の東京オリンピック」とされているが、実はその5年前、世界初のオンラインシステムが日本で動いていた。1959年、日本国有鉄道(現JR)が東京と大阪に設置したUNIVAC機を電話回線で結び、初めてコンピュータ間のデータ送受信に成功した。
国鉄は翌1960年、米ベンディックス社の「G15」を使って、東京―大阪間で貨物列車編成用のオンラインシステム(当時は「テレプロセッシングシステム」と呼んでいた)を稼働、次いで東海道線に投入した新型特急「こだま」の座席予約システムを開発した。これらが世界で初めてのオンラインシステムとなり、1966年には「MARS(MagneticElectronicAutomaticSeatReservationSystem)」と命名された。
開発に携わったのは、福岡県直方の出身で、日大から伊藤忠商事に入った津崎憲文だ。「最初からプログラマとして採用され、新人研修が終わると子会社の東京電子計算サービスに移籍、そのまま国鉄に出向した。列車のダイヤグラムを作る職人(国鉄職員)さんたちに怒られながら、FORTRANとASSEMBLERでプログラムを組んだ」と言う。
東京オリンピックを世界最先端のコンピュータ・システムで管理しようと考えていた日本オリンピック委員会(JOC)は、当然のように日本レミントン・ユニバック(現・日本ユニシス)に打診した。ところが同社は労働省・職業安定所のオンラインシステムに手いっぱいだった。このため日本IBMが候補となった。
本IBMが米本社に相談すると、「RR社以外では無理なので、断るように」という返事がきた。このとき米本社社長だったトーマス・ワトソン・ジュニアが、「いつからIBM社は“挑戦”という言葉を忘れたのか」と激怒し、それが逆転受注につながったという逸話がある。

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