黒澤明監督の名画「生きる」は、毎日毎日決裁にハンを押すだけの味気ない公務員人生を送っていた主人公が、ガンを宣告されて、初めて市民のために尽くそうと決意する物語である。

映画の後半では、主人公の通夜の席上で、役人のナワバリ意識を犯してまで、市民のために尽くした主人公を、参列者の役人たちが手厳しく批判するシーンが描かれる。

通夜の席上で「生きている」のは、実は亡くなった主人公だけであるというのが、この映画のメッセージである。


しかし、公務員の常識からすれば、この映画に登場する公務員たちの言い分こそが正論であり、毎日決裁にハンを押すだけで給料をもらって、何も問題を起こさずに定年を迎えるのが、理想の公務員像である。

親方日の丸だけではなく、大企業病として知られる現象で、多くの関係者の決裁をあおぐ稟議は、意思決定を遅らせるものとして、現在では見直しがなされているが、お役所の場合はいっこうに改善されない。というのも、お役所の稟議で多くの関係者からハンをもらうのは、責任の所在を曖昧にするためだからである。

ひとつの案件に数十人から決裁印をもらって歩く行為を、自嘲気味にスタンプラリーと呼ぶ場合がある。


つまり、部下は上司の決裁を受ければ、その案件はオーソライズされるので、自分が全責任を負う必要はなくなる。他部署の業務に関連がある場合には、その部署の担当責任者の決裁も必要で、これは決裁と並行して行われる「協議」と呼ばれるが、これによって責任の所在はますます曖昧になる。


責任の話はともかく、こうした多くの関係者の決裁を仰ぐために、意思決定が非常に遅れ、結果的に国民に迷惑をかけることになる。民間企業が取り組んでいる「ビジネススピードの向上」などというテーマは公務員には無縁の世界である。


近年、電子決裁システムなるものが導入されているが、これは定型的な案件、つまり形式上、決裁が必要なだけで、担当係員と直属上司がチェックすれば済むような案件で使用されているだけである。システム自体は、稟議にあたって十分な説明を必要とする案件にも対応しているのだが、十分に使いこなせていないし、決裁する側にとっては、部下が説明に来ないのは無礼であると考える者も多いので、システム導入の効果は上がっていない。


案件を担当する者(起案者)は、ひとつの案件の決裁を受けるのに、毎日次のようなやり取りをしている。

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「●●部長は今ご在室でしょうか?これから決裁を仰ぎに説明に伺いたいのですが、え?今来客中、じゃ空いたらご連絡くださいますか?は?この後、会議で外出。何時に御戻りですか?今日は戻らない。あ、そうですか。じゃ、明日の朝一番ではどうですか?」
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このように役人の仕事は、決裁のために、著しい労力と時間を要しているのが現状だ。先日、紹介した「仕事は夜やるもの」という、お役所常識の原因のひとつが、昼間はスタンプラリーで忙しいということなのだ。(もちろん決裁を仰ぐのも仕事であるが)


国民サービスの視点から決裁の簡素化、迅速化を進めることが必要であろう。なにしろ決裁のハンが多いのは、責任の所在を不明確にするためであるとともに、「俺の意向を無視するのか」という役人のプライドを守るためなのであるから。