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洛北の地、圓通寺=失われゆく借景に自然との共生の難しさを痛感
【PJ 2008年05月21日】−
5月15日、わたしは洛北の地にある勅願所圓通寺を訪(おと)なった。東山三十六峰の北端、霊峰比叡山を借景とする枯山水平庭で有名である。
お寺は延宝6年(1678)霊元天皇の御母の叔母にあたる文英尼を開基とするが、そもそもは後水尾天皇の造営(1639年)になる幡枝(はたえだ)離宮のごく一部である。その縁から天皇を退位された後水尾上皇より大悲(山号)・圓通(寺号)の勅額を賜り、霊元天皇(後水尾天皇の第16皇子)の勅願所となったものである。爾来(じらい)、後水尾天皇以降の歴代皇族の御尊碑を祀(まつ)ってきたことから、皇室とのゆかりも極めて深い。
わたしが初めて圓通寺を訪ねたのは今から40年も前の高校生の時である。そのとき借景と云(い)う庭の造り方があるのを知り、同時に日本人が自然を日々の生活のなかで賞(め)でることに価値を見出(いだ)し、自然と共生していたことにひそかな誇らしさを覚えたものである。
客殿の前に広がる四百坪ほどの庭は一面杉苔(すぎごけ)に覆われ、その平坦(へいたん)な地面に紀州より運ばれた40個余りの海石と低い躑躅(つつじ)が配されている。客殿から東正面に4、50種類の木々で造られた高さ1.6mの「混ぜ垣」が見える。その上縁を下枠とし、垣根の外に立つ杉と檜を縦枠としたその自然の額縁のなかに、稜線(りょうせん)を両翼に広げた比叡山が鎮(しず)かに坐(すわ)る。
手前の枯山水の簡素な庭とその後背に聳(そび)える比叡山という構図の見事さは、縁側の柱の微妙な間隔ともあいまって、今でも変わることなく客人の胸を強く打ち続ける。
こうした自然の風景を取り込む庭園は、当然のことだが借景となる寺院外部のいわゆる外界の自然環境によって、他律的にその織り成す景色は変化を余儀なくされる。かつて洛中にもこうした借景の名園があったというが、時代の流れのなかで低層とはいえビルの乱立で、その視界は遮られ庭の趣はまったく異質のものに変貌(へんぼう)したと聞く。
わたしは40年前から機会があれば同寺を訪ねてその借景を愉(たの)しんできた。今回は、写真撮影の許可が下される直前の平成14年の春以来、6年ぶりの往訪であった。これまで頑(かたく)なに写真撮影を拒んでこられた住職の北園文英(きたぞのぶんえい・昭和20年生。昭和51年住職に)氏が、撮影許可(撮影は庭に向けてのみ。室内は厳禁)に踏み切った理由を知るにおよび、自然との共生、環境との共生のあり方につき深く考えさせられることになった。即(すなわ)ち、客殿の前面低地の大規模開発の許可を京都市が下し、この景観維持はこれまでと覚悟し(それまでは周辺の自然と庭園維持のため、写真などで有名にせず極力拝観人数を絞り、人口に膾炙(かいしゃ)しないようにした)、失われてゆく借景を少しでも客人の心に留(とど)めていただきたいとの苦渋の決断であったという。
そして大学生の頃(ころ)だっただろうか、先代の住職であった北園宗沢氏が「比叡山の麓(ふもと)や幡枝の都市開発が進んできたため、混ぜ垣の向こうに植生する竹林を伸ばすことで客殿からの視界に人工的建造物が入らぬように、現在、苦慮しているが、このままゆくと20年、30年後にはこの借景の良さは消滅する」といった主旨の話をされたことを思い出した。
父上の志を継がれた北園氏の長年にわたる自然保護活動や周辺の土地を少しずつ買い求めてゆくといった努力もあり、その借景の景観は消滅することなく何とかいまに面影を止めている。
しかし、悉(つぶさ)にその景色を観察すると、比叡山の北尾根には大きく禿(は)げた山肌が露出し、また客殿の縁側に立つと混ぜ垣のすぐ下に戸建て住宅の屋根が迫って見える。その心の痛む情景にこの寺が三百数十年もの間、纏(まと)ってきた物理的、精神的な「静寂」の世界が崩壊してゆく様を見た。そして、客殿に坐って正面の比叡山を眺めるわたしの耳には、ブルドーザーかクレーンの動く音であろうか、建築の槌音(つちおと)が最後まで届いていたのである。
このことは圓通寺の次に拝観した同じく比叡山を借景とする正伝寺においても、拝観の間、お寺の下から開発の槌音を聴くという同様の体験をした。そして山門を出てすぐのところでゴルフ場のカートがわたしの目前を横切るという光景まで目にすることになったのである。
帰り際に北園住職に環境の保護の難しさについて訊(たず)ねたところ、「最近は鹿やペットが野生化したアライグマ(北米外来種)の被害がひどくなり、植林が若木の段階で食いつくされるなど植生環境の維持ができない。比叡山のあの禿げ地も元に戻すのは難しく、圓通寺周辺も同様の被害を被っている」と語られた。その沈痛な口調に人間という生き物の愚かで自儘(じまま)な営みに対する同氏の痛烈な憤りを感じとった。そして自然環境との共生の難しさを痛感させられたのであった。
生活水準や生活環境の向上を図ろうとすることは、人間としてある意味当然の願いではある。しかしそれは同時に自然と共生して進められてゆくものでなければならない。いまや環境保護の問題は、地球温暖化に象徴されるように人類にとって極めて重大な局面を迎えている。
「ECO」と言葉で叫ぶことは易しい。だが継続的かつ禁欲的で、しかも実質的な「ECO」生活を送ることは至難である。そしてそれを自主的に成す意志の強い人は限られているのが実情であろう。
まさに意志の弱いわたしは「ECO」に反する身勝手な便利さについ頼っている自分に気づき、ひとり赤面する場面が少なくない。やはり各方面における強制力を持った何らかの規制がわれわれ個人、一般家庭にも求められる時代がやって来たのではなかろうか。今回、古都洛北の圓通寺、正伝寺という借景の名刹を訪れて、各自の意思に任せた自制だけでは今日の環境破壊を止めることはもう困難であるという強い思いに駆られたのである。【了】
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お寺は延宝6年(1678)霊元天皇の御母の叔母にあたる文英尼を開基とするが、そもそもは後水尾天皇の造営(1639年)になる幡枝(はたえだ)離宮のごく一部である。その縁から天皇を退位された後水尾上皇より大悲(山号)・圓通(寺号)の勅額を賜り、霊元天皇(後水尾天皇の第16皇子)の勅願所となったものである。爾来(じらい)、後水尾天皇以降の歴代皇族の御尊碑を祀(まつ)ってきたことから、皇室とのゆかりも極めて深い。
わたしが初めて圓通寺を訪ねたのは今から40年も前の高校生の時である。そのとき借景と云(い)う庭の造り方があるのを知り、同時に日本人が自然を日々の生活のなかで賞(め)でることに価値を見出(いだ)し、自然と共生していたことにひそかな誇らしさを覚えたものである。
客殿の前に広がる四百坪ほどの庭は一面杉苔(すぎごけ)に覆われ、その平坦(へいたん)な地面に紀州より運ばれた40個余りの海石と低い躑躅(つつじ)が配されている。客殿から東正面に4、50種類の木々で造られた高さ1.6mの「混ぜ垣」が見える。その上縁を下枠とし、垣根の外に立つ杉と檜を縦枠としたその自然の額縁のなかに、稜線(りょうせん)を両翼に広げた比叡山が鎮(しず)かに坐(すわ)る。
手前の枯山水の簡素な庭とその後背に聳(そび)える比叡山という構図の見事さは、縁側の柱の微妙な間隔ともあいまって、今でも変わることなく客人の胸を強く打ち続ける。
こうした自然の風景を取り込む庭園は、当然のことだが借景となる寺院外部のいわゆる外界の自然環境によって、他律的にその織り成す景色は変化を余儀なくされる。かつて洛中にもこうした借景の名園があったというが、時代の流れのなかで低層とはいえビルの乱立で、その視界は遮られ庭の趣はまったく異質のものに変貌(へんぼう)したと聞く。
わたしは40年前から機会があれば同寺を訪ねてその借景を愉(たの)しんできた。今回は、写真撮影の許可が下される直前の平成14年の春以来、6年ぶりの往訪であった。これまで頑(かたく)なに写真撮影を拒んでこられた住職の北園文英(きたぞのぶんえい・昭和20年生。昭和51年住職に)氏が、撮影許可(撮影は庭に向けてのみ。室内は厳禁)に踏み切った理由を知るにおよび、自然との共生、環境との共生のあり方につき深く考えさせられることになった。即(すなわ)ち、客殿の前面低地の大規模開発の許可を京都市が下し、この景観維持はこれまでと覚悟し(それまでは周辺の自然と庭園維持のため、写真などで有名にせず極力拝観人数を絞り、人口に膾炙(かいしゃ)しないようにした)、失われてゆく借景を少しでも客人の心に留(とど)めていただきたいとの苦渋の決断であったという。
そして大学生の頃(ころ)だっただろうか、先代の住職であった北園宗沢氏が「比叡山の麓(ふもと)や幡枝の都市開発が進んできたため、混ぜ垣の向こうに植生する竹林を伸ばすことで客殿からの視界に人工的建造物が入らぬように、現在、苦慮しているが、このままゆくと20年、30年後にはこの借景の良さは消滅する」といった主旨の話をされたことを思い出した。
父上の志を継がれた北園氏の長年にわたる自然保護活動や周辺の土地を少しずつ買い求めてゆくといった努力もあり、その借景の景観は消滅することなく何とかいまに面影を止めている。
しかし、悉(つぶさ)にその景色を観察すると、比叡山の北尾根には大きく禿(は)げた山肌が露出し、また客殿の縁側に立つと混ぜ垣のすぐ下に戸建て住宅の屋根が迫って見える。その心の痛む情景にこの寺が三百数十年もの間、纏(まと)ってきた物理的、精神的な「静寂」の世界が崩壊してゆく様を見た。そして、客殿に坐って正面の比叡山を眺めるわたしの耳には、ブルドーザーかクレーンの動く音であろうか、建築の槌音(つちおと)が最後まで届いていたのである。
このことは圓通寺の次に拝観した同じく比叡山を借景とする正伝寺においても、拝観の間、お寺の下から開発の槌音を聴くという同様の体験をした。そして山門を出てすぐのところでゴルフ場のカートがわたしの目前を横切るという光景まで目にすることになったのである。
帰り際に北園住職に環境の保護の難しさについて訊(たず)ねたところ、「最近は鹿やペットが野生化したアライグマ(北米外来種)の被害がひどくなり、植林が若木の段階で食いつくされるなど植生環境の維持ができない。比叡山のあの禿げ地も元に戻すのは難しく、圓通寺周辺も同様の被害を被っている」と語られた。その沈痛な口調に人間という生き物の愚かで自儘(じまま)な営みに対する同氏の痛烈な憤りを感じとった。そして自然環境との共生の難しさを痛感させられたのであった。
生活水準や生活環境の向上を図ろうとすることは、人間としてある意味当然の願いではある。しかしそれは同時に自然と共生して進められてゆくものでなければならない。いまや環境保護の問題は、地球温暖化に象徴されるように人類にとって極めて重大な局面を迎えている。
「ECO」と言葉で叫ぶことは易しい。だが継続的かつ禁欲的で、しかも実質的な「ECO」生活を送ることは至難である。そしてそれを自主的に成す意志の強い人は限られているのが実情であろう。
まさに意志の弱いわたしは「ECO」に反する身勝手な便利さについ頼っている自分に気づき、ひとり赤面する場面が少なくない。やはり各方面における強制力を持った何らかの規制がわれわれ個人、一般家庭にも求められる時代がやって来たのではなかろうか。今回、古都洛北の圓通寺、正伝寺という借景の名刹を訪れて、各自の意思に任せた自制だけでは今日の環境破壊を止めることはもう困難であるという強い思いに駆られたのである。【了】
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