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「デーオ」のカリプソ娘、「浜村美智子」現わる。

「デーオ」のカリプソ娘、「浜村美智子」現わる。
"Hiroko, Joe, Michiko" (撮影:池野 徹)
【PJ 2008年05月12日】− 時は今から半世紀前の1955年から57年、昭和30年から32年頃(ごろ)、鳩山首相時代だ。石原慎太郎が陰茎を障子に突き立てた小説「太陽の季節」で芥川賞をひっさらい、裕次郎が「嵐を呼ぶ男」のヒーローになり、「初代三人娘」美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみが活躍していた、長嶋茂雄がデビュー金田投手に4連続三振、テレビ、洗濯機、冷蔵庫が「三種の神器」といわれ、大宅壮一が「一億総白痴化」とテレビ普及に警鐘を鳴らし、ベトナム内戦勃発、米ソのコールド戦争の威力の張り合いの始まりと、戦後日本が大きく動き始めたころ、エンタテインメント界に強烈な印象を残した女性が現れた。その人の名は、「浜村美智子」である。

 大阪出身の浜村美智子(1938-)は、ジャズ学校へ行きながらアルバイトで進駐軍のキャンプなどで歌を歌っていたが、良い絵のモデルを探していた、二科会の大御所、画家の東郷青児の眼にとまり、アトリエでヌードモデルになった時、写真家の中村立行が記録として撮影した。それが、1957年、美術雑誌アトリエに掲載され評判になる。中村立行は、フランス、イタリア調のポワッとした雰囲気を持っており、ぼう然と眺めていたと告白している。浜村は「ハア」位しか言わない無口な子で、ヌードに対して神経質だったと言っていた。しかしテレビや音楽界に火がつき初めて、サンケイカメラで、中村立行撮影の黒パンティと黒靴下の写真がブレイク、ビクターと契約する。

 当時、歌手ハリー・ベラフォンテのカリプソブームが起こり、浜村美智子は日本のカリプソ娘と言う事で「デーオ」の「バナナ・ボート」でデビューするや大ヒット、ミリオンセラーになる。その野性的で、クールな感じ、茶髪のロングヘアとその姿態は、バタ臭さとともに受け入れられて行ったのである。そのころは、「グラマー」で新鮮な歌手として、アメリカでも録音して「パティ・ページ・ショウ」等に出演した。1958年「第8回NHK紅白歌合戦」に出場。「バナナ・ボート」は男イメージだと止められ、エルヴィス・プレスリーの「監獄ロック」を歌わされた。1963年結婚を機に引退したが、1972年、復帰「黄色いシャツ」をヒットさせた。現在は、ラテン、シャンソンを中心に、ダンスパーティや、ディナーショウで、自身のコスチュームデザインで、マイペースの楽しめる歌声を聴かせている。

 その浜村美智子が、5月3日原宿のクロコダイルで行われた、ジョー山中のライブに、突如、竹越ひろ子と共に現れたのである。竹越ひろ子は1965年に「東京流れもの」「カスバの女」のヒット曲を持つ歌手である。竹越の息子の竹越かずゆきは、ジョー山中のキイボード奏者である。その縁で来たのであった。ジョーは、ジョー自身の持ち歌でもある、「バナナ・ボート」を浜村美智子の前で熱唱した。「デーオ・デーオ」彼女は、学生からモデル、モデルから歌手への転身のファーストステップになったこの曲をどんな思いで聞いていたのだろうか。あの時代のエポックになった女性が、今ここにいる。帰り際に一緒に写真を撮ったときは、憧(あこが)れた若かりしころとの時差に、心が往復して不思議な空間を、味わった楽しい夜であった。

♪Tha oh da is da da o Till I come and me wanna go home.........♪

【了】

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パブリック・ジャーナリスト 池野 徹【 千葉県 】
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