中国の民族政策はどこが間違っているのか。
2008年04月10日06時34分 / 提供:PJ
チベット国旗。
近年の生化学の進展によってデオキシリボ核酸(DNA)の塩基配列が精密に分析できるようになり、種としての人類をDNAから見つめなおす「分子人類学」が生まれた。分子人類学の研究によって、皮膚の色、目の色、髪の色、体型などで分類されてきた「人種」という考え方は、すでに根拠を失った。DNAを調べていくと、これらの「人種」の境界を決められないのだ。つまり、分子人類学のひとつの成果は「人類は、これまで考えられていたよりも、はるかに多様である」ということを明らかにしたことだろう。
人類の多様性を思うとき、人種差別とは何だったのか、と考えずにはいられない。肌の色が違うというほんのわずかな差だけで、差別し、抑圧し、虐待してきた人類の歴史は、あまりに悲惨で滑稽だ。しかし今もなお、人種差別に限らず、いわれなき差別で苦しんでいる人がいることを思うとき、理性では抑えられない、差別を志向する醜い闇が人間の中にあるように感じずにはいられない。その闇をどう押しとどめるか、が現代社会の課題なのだろうと思う。
「民族」意識はいつ生まれるのか
歴史や文化によって人類を区別する「民族」という考え方にも、客観的な基準があるわけではない。言語、宗教、地域など、民族を特徴付けるキーワードはいくつかあるが、「肌の色」と同じように「民族」の境界は曖昧だ。しかし、民族間の紛争−−民族問題は厳然として存在する。いや、「民族」という言葉は、文化的抑圧に苦しむ人たちの叫びとしてのみ使われると言ったほうが適当かもしれない。本来は曖昧であるはずの文化の境界にくっきりと線を引かれ、「異民族」として抑圧されたときに「民族」という意識が生まれるのだ。
日本は多民族国家である。代表的な民族として、大和民族、アイヌ民族、琉球民族などがあるが、アイヌ民族は大和朝廷に服従しなかったために明治以降も迫害され続けてきたし、琉球民族は日本と中国の領有権争いや、戦後のアメリカ統治の中で揺れ動いてきた。迫害や不安定な地位の中で「民族」が形成され、これらの民族と対比する形で大和民族が成立したと考えるのが自然だと思う。つまり、「多民族国家」とは、ある集団が他の集団を抑圧した歴史を本質的に持ち、その後、抑圧してきた民族を容認することで成立した近代国家であると言えるだろう。
中国の民族政策の二重構造
前置きが長くなったが、この記事で取り上げたかったのは中国の民族問題である。中国の歴史は、民族の統合の歴史であったといってもいい。現在、中国の人口の92%を占める漢民族は、古代、黄河中下流域で殷族と周族が混交して発生した集団を起源とし、周辺民族を吸収・混合しながら膨張してきた。「漢民族」という民族が生まれたのは、清の成立によって満州民族に支配されたことによる。現代の漢民族がこれほどまでに膨張し得たのは、同じ文化を受け入れた種々の民族を「漢民族」として再定義したためであり、その点では、ローマ帝国がローマ市民権の拡大によって膨張した過程と類似している。
現代中国では、漢民族以外の少数民族で「民族区域自治」が行われており、特定区域での自治権が認められている。が、それはタテマエだ。中国では、漢民族とそれ以外の少数民族を含む「中華民族」という概念が提唱され、中国国籍を持つすべての人々が同じ民族であると定義した。この「中華民族」という考え方こそが、チベット族、ウイグル族を迫害し続けている元凶だ。政治システム上は「多民族国家」であるかのように振舞いながら、少数民族を吸収した「中華民族」による単一民族国家を目指している。それが中国の民族政策なのだ。
チベット問題は民族間紛争
中国政府がチベット問題を内政問題と主張し、他国の干渉をかたくなに拒否しているのは、チベット族と漢民族の民族「間」問題ではなく、中華民族「内」の問題であると認識しているからだろう。清の崩壊後、ソ連の支援によって1924年にモンゴル人民共和国が独立したことは、少数民族をそのまま放置しておけば外国の干渉によって国土が切り取られる可能性があることを、強烈に印象付けたに違いない。1950年代に「農奴解放」と称してチベットに侵攻し、大虐殺を繰り広げ、多数の漢民族の移住による民族浄化を進める中国の非道は、民族間紛争として他国が介入することを回避することが目的だ。ウイグルでも内モンゴルでも同じことが起きている。
中国政府に対して「平和的に話し合いで解決して欲しい」と伝え続けている日本政府の対応は、完全に間違っている。チベット族の猛烈な抗議活動は、漢民族の大量移住という一見「平和的」な中国政府の政策で、チベット族が地上から消滅してしまう危機感によるのだ。話し合っているうちに、「平和的」に民族浄化が着実に進むだろう。日本政府が中国に求めるべきは、とりあえずの沈静化などではない。少数民族の保護と適切な自治権の付与であり、それが達成されなければ、チベット族の独立を支援する可能性があることを示すことだ。
オリンピックの価値
オリンピックに参加する選手たちを批判する気は毛頭ない。スポーツを通じて得られる喜びも、日々の鍛錬の結果、4年に一度のスポーツの祭典に参加できる喜びも、最大限尊重されるべきだろう。オリンピックの価値は、選手自身が決めるべきものだとも思う。また、過去のオリンピックをテレビで見ていただけのわたしが、その価値を正しく評価できるとは思わない。しかし、虐殺が行われている国で開催されるオリンピックに、どれほどの価値があるのかと、ずっと考えている。
スポーツができる喜びを謳歌することなく、政府に殺され死んでいく人たちが、かの国にいるのだ。わたしの価値観を表明しても所詮なんの足しにもならないが、スポーツ選手として尊敬されるよりも、金メダルを獲るよりも、人間として尊敬されるべき行動があるのではないかと思っている。
北京オリンピックの聖火がもうすぐ長野にやってくる。チベット族の自治区も聖火は通過するという。世界中で抗議行動が起こっていることを、渦中のチベット族は知らないだろう。チベット族の人々は、聖火をどういう気持ちで見つめるのだろう。世界中を回ってきた聖火を見て、世界から孤立しているような気持ちにならなければいいと願っている。炎の色が、通過してきた国の人々の思いを吸収して変わればいいのに、と思う。
マラソンのメダリスト、有森裕子さんがテレビで、「聖火ランナーに選ばれたことは栄誉だと思っている。全ての人たちに賛同してもらえるような環境になればいいと思っている」という意味のことを話されていた。その通りだと思う。だが、今の状況では、それは絶望的だ。聖火ランナーがチベット問題を考えながら、オリンピックの意味を考えながら走るのに、そんなことはお構いなしに、テレビでは、脳天気なお祭り騒ぎで聖火リレーを放送するだろう。それが日本のマスコミのレベルだ。
政治とスポーツを結び付けるべきではない。しかし、オリンピックというイベントを利用しなければ、誰もチベットに注目してくれないのではないか、と行動を起こした人たちがいる。政治とスポーツを結び付けてしまった責任は、チベット問題に積極的に関与せず、チベット族にメッセージを送ってこなかった全世界の人々にある。隣国の日本には、もっと重い責任がある。その責任をどう果たしていくかは、個々人が真剣に考えるべき問題だ。
チベット"族"からチベット"人"へ
「チベット族」という呼び方は、この記事で最後にしたいと考えている。チベット族と呼ぶときには、必ず「中国の」という冠詞がつきまとう。今は「中国のチベット族」かも知れないが、彼らが命がけで求めているのは、「チベット人」たる地位だと思う。
多数の同胞が虐殺されてもなお、独立を求め続けている「チベット人」を、このまま見殺しにできるはずがない。【了】
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パブリック・ジャーナリスト 小林 亮一
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