【Legends of REDS】室井市衛「地元・浦和への思いを持って」
鹿島の第1期黄金時代を支えたバイプレーヤー・室井市衛。
浦和で生まれ育ったDFは、2000年J2に陥落したレッズに加入した。
その当時、室井は25歳。サッカー選手として脂が乗り始める年齢を迎えていた。
鹿島でレギュラー獲得のチャンスもあった。だが、彼はあえていばらの道を選択する。
その決断の根底には、自らを育ててくれた地元に対する深い情熱があったのだった。
3度のステージ優勝に2度のJリーグチャンピオン、ナビスコカップと天皇杯もそれぞれ1回制し、1993年に始まった鹿島の第1期黄金時代を支えた名センターバック・奥野僚右が川崎に移籍することが決まった。99年シーズンが終了したときだ。
鹿島の堅牢は、奥野と秋田豊の2人がいてこそ成り立ったが、バイプレーヤーともいえるもう一人の存在も見逃せなかった。2度目のJリーグ王者に輝いた98年、磐田とのチャンピオンシップ第1戦では、年間王者に王手をかけるVゴールを決めた。奥野が移籍すれば、いよいよレギュラーの座が見えてくる。しかしそんな甘いみつのにおいに目もくれず、彼は生まれ育った浦和市(現さいたま市)でプレーすることを迷わず選択した。
故郷愛か、人情か。J2に陥落したレッズをわざわざ選び、自らいばらの道にチャレンジした室井市衛は、93年から7シーズン、鹿島で吸収した経験をレッズに還元するためにやって来た。
J2に陥落し、苦難の道を歩む 地元チームを無視できなかった
99年の暮れ、私はひょんなことから室井がレッズに移籍するかもしれないという話を聞きつけ、自主トレーニングのため、ハワイに飛び立つ直前の室井に連絡して確かめた。「(移籍金など)まだクラブ間の話し合いが残っていますが、僕の腹は固まりました。レッズに行きますよ、阿部ちゃんと一緒に」という明快な返事を聞くことができた。
昨年12月号の『LEGENDS OFREDS』でも紹介したが、阿部ちゃんと室井は浦和・田島中の同級生。帝京高に進んだ後、筑波大に進学したが、2年で中退し95年から鹿島で再びチームメートになった阿部敏之のことである。2000年、室井とともにレッズに移籍し、02年の第1ステージまで在籍した技巧派のレフティーだ。
田島中が全国中学校大会に出場したとき、1度だけ室井を取材。当時、全国区の強豪だった武南高に進んでからは何度も取材した。鹿島加入後も年に2、3度、レッズ戦で会うたびに近況などを聞いたものだ。
新天地に懸ける大きな夢が広がったのだろう。意気軒昂だった。開幕数日前、じっくりインタビューした。
「奥野さんと秋田さんには、鹿島で本当にいろんなことを教わった。僕が特に影響を受けたのは奥野さんです。カバーリング、1対1での応対、相手のクロスをどう処理するか……。まず守備でリーダーシップを発揮したい。それと試合のときだけでなく、普段の練習への取り組み方やプロとしての姿勢を伝えられたらいいですね」
室井は会うたびにいつもレッズのことを気に掛けていた。「いずれ浦和に戻ってレッズでプレーしたいねって、阿部ちゃんともよく話しています」という言葉を何度か聞いた。レッズが99年にJ1残留を争っていた渦中も、試合結果をいつもチェックしていたそうだ。地元愛以外の何ものでもない。浦和でサッカーをやってきて浦和の指導者にお世話になった。友人、知人もたくさんいる。だからレッズがJ2に陥落し、厳しいシーズンを戦い抜くことを無視できなかった。力を貸したくて仕方なかったのだ。
浦和で生まれ育ったDFは、2000年J2に陥落したレッズに加入した。
その当時、室井は25歳。サッカー選手として脂が乗り始める年齢を迎えていた。
鹿島でレギュラー獲得のチャンスもあった。だが、彼はあえていばらの道を選択する。
その決断の根底には、自らを育ててくれた地元に対する深い情熱があったのだった。
3度のステージ優勝に2度のJリーグチャンピオン、ナビスコカップと天皇杯もそれぞれ1回制し、1993年に始まった鹿島の第1期黄金時代を支えた名センターバック・奥野僚右が川崎に移籍することが決まった。99年シーズンが終了したときだ。
鹿島の堅牢は、奥野と秋田豊の2人がいてこそ成り立ったが、バイプレーヤーともいえるもう一人の存在も見逃せなかった。2度目のJリーグ王者に輝いた98年、磐田とのチャンピオンシップ第1戦では、年間王者に王手をかけるVゴールを決めた。奥野が移籍すれば、いよいよレギュラーの座が見えてくる。しかしそんな甘いみつのにおいに目もくれず、彼は生まれ育った浦和市(現さいたま市)でプレーすることを迷わず選択した。
故郷愛か、人情か。J2に陥落したレッズをわざわざ選び、自らいばらの道にチャレンジした室井市衛は、93年から7シーズン、鹿島で吸収した経験をレッズに還元するためにやって来た。
J2に陥落し、苦難の道を歩む 地元チームを無視できなかった
99年の暮れ、私はひょんなことから室井がレッズに移籍するかもしれないという話を聞きつけ、自主トレーニングのため、ハワイに飛び立つ直前の室井に連絡して確かめた。「(移籍金など)まだクラブ間の話し合いが残っていますが、僕の腹は固まりました。レッズに行きますよ、阿部ちゃんと一緒に」という明快な返事を聞くことができた。
昨年12月号の『LEGENDS OFREDS』でも紹介したが、阿部ちゃんと室井は浦和・田島中の同級生。帝京高に進んだ後、筑波大に進学したが、2年で中退し95年から鹿島で再びチームメートになった阿部敏之のことである。2000年、室井とともにレッズに移籍し、02年の第1ステージまで在籍した技巧派のレフティーだ。
田島中が全国中学校大会に出場したとき、1度だけ室井を取材。当時、全国区の強豪だった武南高に進んでからは何度も取材した。鹿島加入後も年に2、3度、レッズ戦で会うたびに近況などを聞いたものだ。
新天地に懸ける大きな夢が広がったのだろう。意気軒昂だった。開幕数日前、じっくりインタビューした。
「奥野さんと秋田さんには、鹿島で本当にいろんなことを教わった。僕が特に影響を受けたのは奥野さんです。カバーリング、1対1での応対、相手のクロスをどう処理するか……。まず守備でリーダーシップを発揮したい。それと試合のときだけでなく、普段の練習への取り組み方やプロとしての姿勢を伝えられたらいいですね」
室井は会うたびにいつもレッズのことを気に掛けていた。「いずれ浦和に戻ってレッズでプレーしたいねって、阿部ちゃんともよく話しています」という言葉を何度か聞いた。レッズが99年にJ1残留を争っていた渦中も、試合結果をいつもチェックしていたそうだ。地元愛以外の何ものでもない。浦和でサッカーをやってきて浦和の指導者にお世話になった。友人、知人もたくさんいる。だからレッズがJ2に陥落し、厳しいシーズンを戦い抜くことを無視できなかった。力を貸したくて仕方なかったのだ。
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