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「Qの悲劇」は、オリンピックで始まった。それは・・・(上)
【PJ 2008年03月12日】−
ゴールした瞬間、きゃしゃな身体に、上気した顔、シドニーの空気を掴(つか)むしぐさに、何か信じられないと言う顔つき、しかし追い上げられたリディア・シモンを突き放して勝利した安堵(あんど)感が顔一杯に広がっていた。これほどの興奮と感動をオリンピックで味わった事はなかった。日本人は、感動と驚喜のるつぼへたたき落とされたのである。そのアスリートの名は高橋尚子。2000年9月24日、シドニーオリンピックで、女子マラソンで、陸上競技で、日本人女性が初めて優勝した瞬間であった。2時間23分14秒、この記録は日本ではいまだに破られていない。
「すごく楽しい42キロでした。あしたの朝も走っていると思います」。高橋尚子ことQちゃんは、夢見る笑顔の中で言った。そこには、マラソン競技の2時間あまりを走る中で、過酷な練習との自分自身の肉体的戦い、精神的苦難を乗り越えた、ある神の域に踏み入れた恍惚(こうこつ)感があったに違いない。夢遊病者のごとく、赤子のごとく、小出義雄監督の姿を求めていた。小出監督は、感情を抑えかねて、酒気を帯びて、Qちゃんと、抱き合ったのだった。しかし、その時、Qちゃんも、小出監督も、マラソン競技のすべてを制覇した最高の頂きに立った勝利者であった。そして、同時にオリンピックと言う魔物に取り憑(つ)かれた瞬間でもあったのだ。
高橋尚子は、大阪学院大学時代は目立たぬ存在だった。1995年、リクルート入社、小出監督と出会う。トラックアスリートから、その素質を褒められマラソンランナーとなる。1997年、大阪国際女子マラソン大会に初出場7位となる。小出監督はメディアにその才能を売り込む、1998年名古屋国際女子マラソンで驚異の追い上げで日本最高記録で初優勝。同年、バンコクアジアマラソン大会の高温多湿にも関わらず優勝。2000年シドニーオリンピック選考会の名古屋国際女子マラソンでマラソン三連勝の驚異的な活躍で、Qちゃん、小出監督コンビはその、漫才で言うなら、ボケと突っ込みの関係で一大メディア旋風を起こす。そして、歓喜の絶頂、2000年シドニーオリンピックを制したのである。日本国は、国民栄誉賞を贈った。28歳のQちゃんは国民的英雄になった。
「走っている時の景色の移り変わりの楽しさ」「声援を送ってくれる人々に自分の姿を見てもらい、お互いの勇気と希望を得る楽しさ」その、コミュニケーションを独特の明るさと、親しみやすさがミックスして、Qちゃんは、まさに走る「Qちゃんアイドル」と化していた。勢いは、その後の青梅マラソン、ベルリンマラソンで、2時間19分46秒と当時世界最高記録で優勝を重ねた。しかし、2003年、アテネオリンピック選考会の東京国際女子マラソンで、敗れ、マラソン7連勝でストップする。その実績と実力はあったにもかかわらず、アテネオリンピックの代表の座を外されたのである。
日本陸連の不可解な選考結果であった。この時のQちゃんのショックは、顔と態度には出さなかったが非常に大きくプライドを傷つけたものであった。前人未到のターゲットにしたオリンピック2連覇が消えたのだ。Qちゃんにしかできなかったはずなのに、日本陸連は、アスリートの気持ちより、段取りを優先したのだった。ここから、Qちゃんの悲劇はスタートしたのである。
♪You Are So Beautiful To Me♪
【つづく】
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「すごく楽しい42キロでした。あしたの朝も走っていると思います」。高橋尚子ことQちゃんは、夢見る笑顔の中で言った。そこには、マラソン競技の2時間あまりを走る中で、過酷な練習との自分自身の肉体的戦い、精神的苦難を乗り越えた、ある神の域に踏み入れた恍惚(こうこつ)感があったに違いない。夢遊病者のごとく、赤子のごとく、小出義雄監督の姿を求めていた。小出監督は、感情を抑えかねて、酒気を帯びて、Qちゃんと、抱き合ったのだった。しかし、その時、Qちゃんも、小出監督も、マラソン競技のすべてを制覇した最高の頂きに立った勝利者であった。そして、同時にオリンピックと言う魔物に取り憑(つ)かれた瞬間でもあったのだ。
高橋尚子は、大阪学院大学時代は目立たぬ存在だった。1995年、リクルート入社、小出監督と出会う。トラックアスリートから、その素質を褒められマラソンランナーとなる。1997年、大阪国際女子マラソン大会に初出場7位となる。小出監督はメディアにその才能を売り込む、1998年名古屋国際女子マラソンで驚異の追い上げで日本最高記録で初優勝。同年、バンコクアジアマラソン大会の高温多湿にも関わらず優勝。2000年シドニーオリンピック選考会の名古屋国際女子マラソンでマラソン三連勝の驚異的な活躍で、Qちゃん、小出監督コンビはその、漫才で言うなら、ボケと突っ込みの関係で一大メディア旋風を起こす。そして、歓喜の絶頂、2000年シドニーオリンピックを制したのである。日本国は、国民栄誉賞を贈った。28歳のQちゃんは国民的英雄になった。
「走っている時の景色の移り変わりの楽しさ」「声援を送ってくれる人々に自分の姿を見てもらい、お互いの勇気と希望を得る楽しさ」その、コミュニケーションを独特の明るさと、親しみやすさがミックスして、Qちゃんは、まさに走る「Qちゃんアイドル」と化していた。勢いは、その後の青梅マラソン、ベルリンマラソンで、2時間19分46秒と当時世界最高記録で優勝を重ねた。しかし、2003年、アテネオリンピック選考会の東京国際女子マラソンで、敗れ、マラソン7連勝でストップする。その実績と実力はあったにもかかわらず、アテネオリンピックの代表の座を外されたのである。
日本陸連の不可解な選考結果であった。この時のQちゃんのショックは、顔と態度には出さなかったが非常に大きくプライドを傷つけたものであった。前人未到のターゲットにしたオリンピック2連覇が消えたのだ。Qちゃんにしかできなかったはずなのに、日本陸連は、アスリートの気持ちより、段取りを優先したのだった。ここから、Qちゃんの悲劇はスタートしたのである。
♪You Are So Beautiful To Me♪
【つづく】
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