2010年南アフリカ・ワールドカップ出場へ向けたサッカー日本代表の戦いが始まった

 その初戦(アジア地区3次予選グループ2)であるタイとのホーム戦は4−1で勝利。まずは無難なスタートが切れたといえる。

 采配をとったのは、急病に倒れたイビチャ・オシム監督からバトンタッチして2カ月目の岡田武史監督。これからの日本代表の戦いを展望するに当たって、岡田監督の強運について考えてみたい。

 絶頂期にあるアスリートは自分を高めることと目標とする試合に勝つことに集中している。が、それを過ぎた者の多くは指導者の道を模索し始める。スポーツの世界に生きる者の目標には、競技者としての成功と指導者としての成功のふたつがあるのだ。

 その指導者の中でも最も重みがあるのは、サッカーのナショナルチームの監督だろう。世界中が熱狂するワールドカップという目標がある。国民の期待を一身に背負うのである。

 もちろん計り知れないプレッシャーはある。それに対する見返り、報酬も大きい。いや、報酬などは二の次かもしれない。サッカーの魅力に取りつかれた者の多くが一度は立ってみたい立場。やってみたくて仕方がない者が数えきれないほどいるのが、サッカーの代表監督である。

 このポストに「その気はないのに」就いたのが岡田武史だ。しかも2度も。

 1度目は97年10月。フランス・ワールドカップ出場をかけてアジア最終予選に臨んでいた日本代表は中盤戦で早くも敗退の窮地に立たされた。指導力に疑問符がつけられた加茂周監督は更迭され、コーチだった岡田が代理監督になる。1試合だけの予定だったが、適切な後任を見つける時間はなく、結局正式な代表監督に就任。これが「ジョホールバルの歓喜」につながった。

 本大会は3戦全敗に終わったため、高い評価は得られなかったが、4年後の自国開催を控えて絶対にクリアしておかなければならなかったワールドカップ出場を成し遂げた点で、代表監督としての務めは果たしたといえる。

 そして2度目が昨年12月。アジア予選に向けてチーム作りを進めていたオシム監督が急性脳梗塞で倒れるアクシデントが起きた。後任の候補はいた。浦和レッズ・オジェック監督、ガンバ大阪・西野朗監督などだ。が、彼らにはクラブの契約などクリアしなければならない課題があった。予選開始まで2カ月。外国人監督を呼んで一からチーム作りをするには無理がある。そこで岡田に白羽の矢が立った。テレビ解説や環境保護の講演などの仕事はしていたが、立場はフリー。代表メンバーのことも良く知っており、監督を任せるには何の問題もなかった。

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