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食のマチ京都、錦小路をゆく(下)

食のマチ京都、錦小路をゆく(下)
さすがは国際観光都市京都。青い目のギャルが小路を歩く。「照り焼きのハモ」には驚かないが、「睨み鯛」にはギョッとするらしい。(撮影:今藤泰資) 写真一覧(9件)
【PJ 2007年12月27日】− (中)からのつづき。京都の食文化で異彩を放つのは、コブやニシン、棒ダラなど、豊富な北海道の食材である。江戸遷都に際し、家康は尼崎近郊の「佃村」の村民を移住させ、出来上がったのが「佃煮」だったが、江戸以東に「コブの文化」はなかった。蝦夷(えぞ)地から「北前船」で運ばれた豊富な食材は、「サバ街道」によって京都に運ばれ、京商人は巧みに自らの食文化に転換させた。京都のつけものの多くにはコブが多く添えられる。サバとコブを細工したのは「サバ寿司」になったし、錦小路でも見かける「ニシンそば」の看板は、蝦夷地を思い出させることになる。

 また、歴史と伝統を誇るこの市場の中ほどに、室町時代の永禄3(1560)年創業の刀鍛冶・有次(ありつぐ)がある。伝統的な包丁さばき「四条流」がこのマチにはあって、食文化を側面で生み育てている。

 帰宅後、わたしは宇崎竜童出演の歳末のテレビ番組で、意外にも錦小路の歴史を学ぶことになる。伏見に、五百羅漢で有名な石峰寺(せきほうじ)という黄檗宗の寺があり、1713(正徳3)年に開創された古刹だという。その羅漢像の下絵を描きを石上に彫らせたのが、錦小路ゆかりの絵師・伊藤若沖であった。

 伊藤若冲は、江戸中期の1716(正徳6)年、高倉錦小路南東角にあった青物問屋「桝源」の長男として生まれた。23歳の時、若冲は四代目伊藤源左衛門として店を継いだ。当時の「枡源」には、2000人もの手代がいたが、40歳で家督を弟に譲り、「店をつぶすまで絵を描いた」ことで有名な人物だという。

 なるほどなるほど、京の文化は奥が深い。食のマチ京都では、近隣からの野菜も、遠路運ばれる魚介類も、手を加えカタチを変えて膳に供したのだ。その中心はやはり錦小路となるのだろう。青物問屋の跡継ぎが出奔し、絵師として名を上げることも、当時はアフリカ以上の遠隔地であった蝦夷地からの交易品を自家身中のモノに仕立て上げるのも、つまりは「京上がり」。江戸遷都以降、東京に出向くことを「上京」(じょうきょう)というが、わずか100数十年前までは、京都に上ることを上京(あるいは上洛)といったものだ。

 さて次ぎなる機会には、伏見深草の石峰寺を訪うてみたい。若沖の手になる五百羅漢を拝観した上で、錦小路に来てみれば、過去50年通い続けたこの狭い市場の生業(なりわい)と、土地に根付いた食文化を再発見できそうだ。【了】

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パブリック・ジャーナリスト 今藤 泰資【 茨城県 】
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