ミランの優勝で幕を閉じたクラブW杯。イタリアにおいて今大会は、ミランのベルルスコーニ・オーナーが所有するメディア・コングロマリット傘下の地上デジタル波でのみ放送された。いかにミラン好きといえど、現実を生きる庶民にとって新たなデコーダー代と契約料の出費は二の足を踏むには十分な額だった。日本との時差はマイナス8時間。ミラン・ファンは契約を結んでいるバールなどにおしかけて声援を送ったようだ。

 イタリアで初めてトヨタカップの生中継が行われたのは1985年のことだった。当時生まれたばかりの新チャンネル「カナーレ5」(メディアセット傘下)は、ミラノを州都に頂く北部ロンバルディア州域でしか生放送する権利を持てず、全国のサッカーファンへ映像を届けるには録画放送しか手段はなかった。リアルタイムで情報を得られるインターネットも携帯もない時代だ。
 人びとは深夜、TVの前にかじりついた。その年の対戦、ユベントス対アルヘンチノス・ジュニアーズのPK戦が終わったのは早朝6時すぎ。祝盃はスプマンテ(発泡ワイン)ではなく、コーヒーになった。