記者団に囲まれ、自民党総裁選出馬の意思を語る福田康夫氏(NHKより)

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   しばらく見ないと思っていたら、いきなり表舞台に現れた。2007年9月14日、自民党総裁選への出馬を表明した福田康夫・元官房長官(71)だ。対抗馬の麻生太郎・自民党幹事長(66)より優勢と報じられている。このまま勢いを保てば、日本初の親子2代の首相となる。どんな人物なのか。

久方ぶりのスポットライト

   テレビの前に現れた福田康夫氏。久しぶりにスポットライトを浴び、モグラのような気持ちになったのか、照れ臭そうな表情を浮かべた。2007年9月14日に開かれた所属派閥である町村派の臨時総会で、「平時じゃないから、やらなきゃいけないのかな」と神妙に出馬の動機を語った。

   福田氏は、年金未納が発覚した2004年5月に、小泉内閣の官房長官を辞めた。その後も「ポスト小泉」として名前が上がっていたが、沈黙を守り続けてきた。9月14日付毎日新聞によると、「(安倍晋三氏が出馬・当選した)昨年の総裁選では永田町でも待望論が強かったが、福田氏は『貴代子夫人にさえ何も話さなかった』(後援会幹部)というほどに沈黙し、不出馬を決めた」という。

   安倍政権下でも、福田氏は沈黙を守り続けた。ところが、安倍首相が12日に辞任表明し、麻生氏ら有力候補が出揃うと、いきなり表舞台に顔を出した。穴から這い出したモグラのように…。9月14日付産経新聞によると、福田氏は13日夕、町村派の事務所で「私を強く推す声が大きい。そういうことを無碍にできない」と町村派名誉会長の森喜朗元首相に打ち明けたという。

ユーモラスな語り口は、親譲り

   福田氏は、一見堅物のように見えるが、おちゃめなところがある。森、小泉内閣2代の官房長官を務めた時代、数々の「福田語録」を残した。例えば、地元で2001年1月20日開かれた「新春の集い」で、森首相の失言をかばう役回りについて、

「今後もしばらくは『弁明長官』の役割が続きそうだ」

と漏らした。
   また、小泉内閣で2004年4月6日、官房長官在任が歴代最長になり、記者会見で記者たちに、

「今は『秘密主義長官』ですか?それから何ですか?『影の外相』ねえ。『影の防衛長官』。いろいろ名前はありますが、まあ、しょせん影ですから」

と語りかけた。

   こうしたユーモラスな語り口は、親譲りのようだ。亡父福田赳夫は、「狂乱物価」「日々是反省」「福田内閣はさあ働こう内閣だ」など数々の迷(?)言を残している。
   ただ、福田氏にとって、野党が手ぐすねひいて待つ国会は、ユーモアだけで乗り切れるのだろうか。

   福田氏は、取り囲んだ記者から困難な政治状況について指摘されると、照れ笑いを浮かべながら

「そうなんだよね。だから立ってくれよ、ということなんだよ。場合によっては『貧乏クジ』を引くかもしれんよ」

と上機嫌でおどけてみせた。