ジェームズ・ワットが転職するとしたら・・・
もしもジェームズ・ワットが転職するとしたら……歴史をひもとき、レジュメを代筆

今回取り上げたのは、ジェームズ・ワット。名前を聞いておおよその方は「ああ、蒸気機関を発明した人でしょ」と思い浮かぶかもしれない。
ただし正確に言うと、ワットは発明したのではなく、極めて効率的な新エンジンとして蒸気機関を「改良」した人物である。先行技術の欠点を見抜き、それを克服する方法を考案したワットの改良により、蒸気機関は、画期的な動力源としてイギリス産業界に広く浸透していきやがて、世界に先駆けて産業革命を実現するのである。

ワットは、それまでの蒸気機関の欠点を克服した2つのシリンダーをもつ蒸気機関の設計で、33歳のときに特許を取得する。しかし、実際にその蒸気機関の製造・販売が軌道に乗り始めるのは、それから7年後のことだった。その間ワットは、素材、製造法、機関の稼働効率など、あらゆることに試験を重ね、改良を加え続けるのである。そうしたあくなき技術改良への意欲、真摯なまでの向上心は、すぐれた発明家であると同時に、ワットがまぎれもなく一級の技術者であることを示している。

そのワットが「もしも33歳で転職するとしたら……」と仮定してレジュメを作成してみた。おそらく彼は、取得した特許に基づく蒸気機関の製造とその事業化に取り組み、さらなる改良・応用によって幅広くイギリス産業界への新動力の普及を推し進めていきたいという情熱をアピールすることだろう。

□プロフィール
1736年、スコットランド西部の漁村グリノックに生まれる。子供のころから数学や工作が好きで、大工である父親の道具を借りては動く模型を作っていた。周囲の職人たちからは「この子は手にひと財産もっている」と言われていたという。1754年、18歳でロンドンに出て数学器械づくりをわずか1年で習得する。

□職務経歴

[POINT]理化学分野への探究心と地道な検証を重ね続けたことが、大きな発明に結びついたことをアピールするはず

1757年(21歳) グラスゴー大学構内に数学器械の店を開店……(ポイント1)
グラスゴー大学(物理学)のディック教授の助力を得て、同大学の中庭に、数学器械を製造・修理する店を開店。(注:数学器械とは、物差しや定規、羅針盤、六分儀、経緯儀など、精密が要求されるさまざまな科学実験器具の意)

1763年(27歳) 蒸気機関の模型修理
グラスゴー大学(物理学)のアンダーソン教授から、ニューコメン型蒸気機関の模型の修理を依頼される(これが、蒸気機関と本格的にかかわるようになったきっかけ)。
また、友人と共同で出店した店が活況で手狭になったため店舗を移転。15人ほどの助手を雇い、数学器械のほかに楽器や雑貨などの製造販売も開始。

1764年(28歳) 「気化潜熱」について研究……(ポイント2)
ニューコメン型蒸気機関の模型修理を通じて、蒸気は、もとの水の約1800倍に膨張すること、そしてニューコメン型蒸気機関が著しく効率の悪いエンジンであることを発見。そこから、グラスゴー大学(化学)のブラック教授と親交を結び、「気化潜熱」について教示を受ける。

1765年(29歳) 2シリンダー式蒸気機関の着想……(ポイント3)
ニューコメン型蒸気機関の改良に取り組み始め続け、ピストンを動かすシリンダーと、蒸気を冷やすシリンダーの2つを分ける、2シリンダー式蒸気機関の着想を得る。
そこで、新しい蒸気機関の小型模型(シリンダーは真鍮製で直径4.5cm、高さ25.4cm)を製作、試験運転に成功。

1766年(30歳) 新しい蒸気機関の製造に着手
小型模型を実物大にすべく、グラスゴーの町外れにあるブルーミローの陶器工場の一角を借りて、新しい蒸気機関のためのシリンダーづくりに着手。

1767年(31歳) 運河建設の測量士としての仕事を開始
その仕事の合間を縫って、蒸気機関の試験と製造に取り組む。

1768年(32歳) 新しい蒸気機関の特許が認可
前年に出願した特許が認可。これにより、2つのシリンダーをもつ新しい蒸気機関の製造・販売を決意。

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