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7月28日、今日はなんの日?スペイン無敵艦隊、カレー沖の海戦でイギリスに敗北

【PJ 2007年07月28日】− ヘンリー8世の娘であるエリザベスが、英国女王に即位したのは、1558年11月17日である。日本では、武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いが繰り返されていた時代である。

 ヘンリー8世の死後、プロテスタントを優遇した弟エドワード6世、カトリックへの復帰政策の姉メアリー1世のあとを継いだものである。エリザベスは、父ヘンリー8世の政策を踏襲、イギリス国教会の強化を図る。1568年、スコットランド女王メアリーの処刑をおこない、カトリックとの対立はスペインとの対決を深めることとなる。新大陸との連絡のスペイン船へイギリスの船が略奪行為をすることを暗に認めていた。1588年、スペイン王フェリペ2世(姉メアリー1世の夫)は、イギリス侵略を決意する。

 5月22日、メディナ・シドニア率いる無敵艦隊がリスボンを出発、ネーデルランドを目指しての航海を開始した。イギリスへの上陸を想定のため、乗船した兵員の多くが陸戦部隊であった。

 7月21日、プリマス沖で最初の会敵海戦。スペイン側の副司令官が座乗するサンタ・アナ号は戦闘不能となり、サンサルバドル号が火災のため艦隊から離脱した。

 7月23日、ポートランド沖の海戦。7月25日、ワイト島沖海戦。何れもスペイン艦隊は、三日月の陣形を崩さず、ネーデルランドでのパルマ公との合流を優先して積極的な攻撃にでなかった。

 7月27日、スペイン艦隊はカレー沖に停泊して、パルマ公の部隊と合流を待つ。 7月28日、カレー沖の海戦。深夜、イギリス艦隊により火船の攻撃が行われた。攻撃に混乱した停泊中のスペイン艦隊は、多くが錨索を切断して四散、漂流を始めた。

 7月29日、グラベリン沖の海戦。火船攻撃により陣形が崩れ、イギリス艦隊の射程に捕らえられたスペイン軍は、集中砲火を浴び壊滅的な被害を受けた。

 7月30日、北海方面に脱出したシドニア公は撤退を決定、スコットランド沖を回る航路での帰還を試みる。イギリス軍はもはや上陸の可能性は低いと判断し、スコットランドのフォース湾沖で追撃を打ち切った。

 スペイン軍は慣れない航路と連日の過労から座礁・難破・病気によりさらなる犠牲者を出した。結局スペインに帰還したのは54隻だった。これ以降、スペインの海洋王国は弱体化し、新に世界の七つの海を支配する海洋帝国イギリスが誕生する。

 この事実は、日本への影響も少なくない。スペインとポルトガルによって分割されていた海洋へ、新勢力のオランダ、イギリスが登場するのだ。1600(慶長5)年にオランダ船リーフデ号で漂着し三浦按針として日本に帰化、徳川家康に仕えたイギリス人ウィリアム・アダムスもこの戦いに参加している。

 ちなみにエリザベス1世の統治は、1603年まで続くのである。日本では、徳川家康が征夷大将軍となり幕府を開いた年である。映画などでおなじみの「エリザベス」の時代とは、このような時なのだ。歴史とは、常にその国だけでなく、視野を広げて見る必要があるのだ。中国では、明の末期である。(ウィキペディアなどを参考とした)【了】

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※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 鈴木 修司【 愛知県 】
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