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7月5日、今日はなんの日?「寛政の三奇人」蒲生君平没。

【PJ 2007年07月05日】− 多くの人にとっては、蒲生君平ってだれ?の世界であろう。実は、この人物が江戸時代の末期に、荒廃した天皇陵(陵「みささぎ」と呼ばれる)を調査し特定した「山陵志」を書いたのである。現在、宮内庁が管理している、神武天皇以来の陵墓は、多くが「山陵志」を元としているようだ。

 蒲生君平は、1768(明和5)年、宇都宮の商家に生まれ、鹿沼の儒者、鈴木石橋に学び、藤田幽谷らと交わり、林子平・高山彦九郎と並び寛政の三奇人といわれた。水戸学の影響を受け、荒廃した歴代天皇陵を調査して「山陵志」を著し、幕末尊王論のさきがけとなった。1813(文化10)年7月5日没。(角川書店刊 日本史辞典 最新版より)

 その著書の「山陵志」は、1808(文化5)年刊。全2巻。1巻に、大和山陵31箇所、河内山稜13箇所、和泉山陵3箇所、摂津等七箇国山陵各1箇所、2巻に、山城山稜(泉涌寺除)30箇所を載せる。

 6月28日の各紙の朝刊は、エジプトのミイラの話を掲載していた。1903年にルクソールの王家の谷で見つかっていたミイラが、今回そのDNA鑑定などで、ほぼ古代エジプト第18王朝のハトシェプスト女王であるとの確証を得たという報道であった。王家の谷は、多くのファラオ(王)の墓所でもある。

 「みささぎ」と呼ばれる山陵は、醍醐天皇が選定した延喜式により、天皇・皇后の墓所をいい、それ以外は墓と称すこととなった。天皇の火葬は持統天皇より行われたが、陵を造る場合と後白河天皇を法華堂に収めた以降は、九重塔などの寺院の陵もあることとなった。しかし、孝明天皇の崩御にあたり明治天皇は、山陵を設け以降は古式に復しているのである。八王子にある昭和天皇の「武蔵野陵」、香淳皇后の「武蔵野東陵」は、記憶にも新しいものだ。

 神話時代の天皇も含めてこの山陵の特定は、確実なものではなく、例えば高松塚古墳も一時は天皇陵とされた時期もあったように、推定の域を出ないものも多いのだ。加えて天皇陵は、科学的発掘もされていないのが、実状である。仁徳天皇陵とされる大仙古墳が明治時代に大雨で崩れた時に少々調査の手が入ったのみと聞いている。日本の古代史解明のためにもその調査を考えてもよいのではあるまいか。エジプトのミイラをしのぐ発見があるに違いない。

 21世紀を迎えたいまこそ、科学的・学問的解明を行い、日本の古代史を明らかにするべき時だろう。それにより、日本という国の概念が変わったとしても、その正しい姿で日本の歴史が語られることの方が、誤った見方をするよりも良い。倭の五王の解明も、天皇陵の調査ができればより進むに違いない。

 日本の伝統を重視することも大切だ。しかし、伝説は伝説、歴史は歴史として、きちんと解明できるものは科学的調査・研究の対象とするべきである。そうしないと、このままでいくと、私には、「美しい国」が紀元2700年を西暦2040年に祝う国になるような気がするのである。「山陵志」が尊王論のさきがけとなったことを思うと、古代史の解明に、天皇陵の学術調査を行うことが、この国の本当の歴史を見直す第一歩になり、北東アジアの歴史の中の日本の存在が明確になると思うのだ。

 原爆投下を容認した防衛大臣が辞職した。その思いは総理も同様であろう。選挙が近くなければ、このような事にはしなかったと思われる。近い歴史でもどんどんとその認識を変えつつあるのが今の日本なのである。【了】

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※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 鈴木 修司【 愛知県 】
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