日韓友好碑のハングル版でも「東海」が削除される(琴浦町HP)

写真拡大

   鳥取県琴浦町の日韓友好記念碑から、韓国が日本海の呼称と主張している「東海(トンヘ)」の文字が削り取られた問題で、同町は日本語文には「日本海」と明記し、ハングル文には「東海」の文字を入れないという最終的な修正案を発表した。しかし、これに対し在日本大韓民国民団(民団)側が「右翼に屈した」と激怒。同町に抗議することが明らかになり、騒動は終わりそうにない。

ハングル版では海についての呼称を入れない

   琴浦町は2007年6月18日、「江原道交流記念碑」の説明文について、当初「日本海(東海)」と記されていた部分について、日本語版では「日本海」と表記し、ハングル版では海についての呼称を入れないという修正案を発表した。

   「江原道交流記念碑」は、1819年に同町沖に漂着した韓国船を救助、丁重にもてなしたという史実を記念するもので、1994年に設置した。

   説明文では、韓国が日本海の呼称と主張している「東海」を盛り込み、「日本海(東海)」と「両論併記」していた。しかし、これについて06年9月に県民から「『東海』は公式の表記ではないので削除すべき」との声が同町に寄せられ、同町は07年3月になって「東海」の2文字を日本語版・ハングル版からそれぞれ削り取った。これが07年5月上旬に分かり、民団鳥取県地方本部が抗議するなどして、日韓をめぐる国際問題にも発展し、琴浦町の修正案も二転三転、稀に見るゴタゴタが続いていた。

   07年6月になって、交流碑を設置した旧赤碕町の元町長が「日本海(東海)」という表記に戻すよう町に要望(後に「町政を混乱させる」として撤回)。田中満雄・琴浦町長も「眠れない」などと体調不良を訴え、6月末まで公務を休むことになったほか、担当課長も体調を崩した。一時は町役場に1日20件ほどの電話での問い合わせがあったほか、右翼団体の街宣や訪問などの活動にもさらされるなど、静かな町が未曾有の「騒動」に巻き込まれた。

   同町によれば、外務省に見解を問い合わせたところ、「『日本海』が国際的な呼称である」との回答を得たため、日本語版に「日本海」と明記した。「東海」については外務省からの見解は述べられなかったが、「あえてそこまで言及する必要がない」と町が判断したと言う。

(中見出し)

「我々は総合的に判断している」

   琴浦町はJ-CASTニュースの取材に対し、

「町民の方がバタバタしてしまうのは良くないので、変わることはないと思う。これで、(これまでのゴタゴタを)解決したい」

と述べており、あくまでこの修正案で最終的な「解決」を図りたい考えだ。
   しかし、この修正案に対し、在日本大韓民国民団鳥取県地方本部は「怒り心頭」の様子だ。

「とんでもないですよ。(今回の修正は)右翼の街宣活動に屈してしまったもの。設立の際にそれぞれの想いがあって『日本海』『東海』と入れたものだ。今後(韓国と)国際交流しないということで、『日本海』にするという話なら理解できる。だが、交流するのであれば相手を思いやらなければならない。認め合って尊重し合ってこそ国際交流できるというものだ」

   民団鳥取県地方本部は6月27日に琴浦町に対し、表記を元に戻すように抗議を行うほか、同町と意見交換をすることを明らかにした。
   修正案が「右翼に屈してしまった」かどうかについて、琴浦町は、

「そういう意味ではない。民団さんの『想い』もあるんでしょう。我々は総合的に判断している」

と否定している。