今週のお役立ち情報
水俣撮影当時の思いを語る 7人の写真家たち(上)
2007年06月03日07時02分 / 提供:PJ
【PJ 2007年06月03日】−
水俣市立水俣病資料館で4月30日から、「水俣を見た7人の写真家たち展」が開催されている。初日に行われたシンポジウムでは、7人の写真家が、撮影当時の思いを語った。
桑原史成さん
1960年、『週刊朝日』(1960年5月15日号)に掲載された特集『水俣を見よ』で、水俣病について知り、7月に水俣を訪問。撮影は、全てが順風満帆ではなかったと語った。写真を撮らせてほしいとお願いすると、断られることも少なくなかったという。「標準語で、『撮影は無理です』『帰ってください』と言われるのは怖くなかったが、水俣弁で、うるさいとか、めんどくさいという意味の『せがらしか』と言われ拒絶されたときは、絶望感を感じた」と当時を振り返った。
水俣出身者でないことが、水俣病事件の記録には有利に働いたこともあったと話した。「1968〜70年頃は、訴訟派、調停派など、患者団体の分裂が進んだ時期。外部から来た者は、どの団体とも等間隔で付き合うことが出来たが、地元の人はそうはいかなかったようだ」と述べた。「明日は東京に帰るから、どうしても今日撮らせてほしい」と、無理なお願いを聞き入れてもらったこともあったそうだ。
塩田武史さん
学生時代、土門拳の撮影した原爆によるケロイドの生々しい写真を見たことで、原爆症研究会に参加。胎内被爆について調べているうちに、胎児性水俣病の存在を知ったことが、水俣に関心を持ったきっかけに。1967年に水俣を訪問。大学を卒業した1970年には、水俣に移住した。
これまでに撮影した写真を見ると、被写体となった人たちと交わした言葉の一つ一つがよみがえり、愛おしい気持ちでいっぱいになると語った。「こうした気持ちになれるという意味では、やってきてよかったなと思う」と語り、写っている全ての人に写真を手渡したいと話した。
宮本成美さん
大学卒業後、カメラマンとして勤務。1970年5月25日、厚生省前での水俣病患者支援者らが行った座り込み抗議活動の写真を、仕事で撮ったことがきかっけ。座り込みをしていた若者に、何か惹かれるものを感じたという。「彼らの真剣さや、水俣への思いが、とても新鮮だった。それまでに見てきた社会運動とは違うものを感じた。どんな人たちなのか、という興味が、水俣を取材するきかっけになった」と話した。
座り込みの写真には、若かりし頃の石牟礼道子さん(作家)の姿がある。36年前の抗議活動について石牟礼さんは、座り込んでいた若者らを、「含羞(がんしゅう)を含んだ青年たち」と表現したそうだ。「彼らは今どこに行っちゃったんでしょうね」と懐かしそうに話していたと紹介した。
大学卒業後、自分の生き方に悩んだ宮本さんだったが、水俣病問題に関わったことで、生きていくうえでの座標軸を得たと述べた。【つづく】
■関連情報
水俣を見た7人の写真家たち展=水俣市立水俣資料館
水俣市立水俣病資料館
「水俣を見た7人の写真家たち展」開催
日時:2007年9月30日まで
休館日:毎週月曜日月曜が祝日の場合はその翌日)
開館時間:午前9時〜午後5時まで 入館は4時30分まで)
入館無料、駐車場無料
資料館では、図録「水俣を見た7人の写真家たち」を販売している。
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※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。
パブリック・ジャーナリスト 奥田みのり【 東京都 】
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桑原史成さん
1960年、『週刊朝日』(1960年5月15日号)に掲載された特集『水俣を見よ』で、水俣病について知り、7月に水俣を訪問。撮影は、全てが順風満帆ではなかったと語った。写真を撮らせてほしいとお願いすると、断られることも少なくなかったという。「標準語で、『撮影は無理です』『帰ってください』と言われるのは怖くなかったが、水俣弁で、うるさいとか、めんどくさいという意味の『せがらしか』と言われ拒絶されたときは、絶望感を感じた」と当時を振り返った。
水俣出身者でないことが、水俣病事件の記録には有利に働いたこともあったと話した。「1968〜70年頃は、訴訟派、調停派など、患者団体の分裂が進んだ時期。外部から来た者は、どの団体とも等間隔で付き合うことが出来たが、地元の人はそうはいかなかったようだ」と述べた。「明日は東京に帰るから、どうしても今日撮らせてほしい」と、無理なお願いを聞き入れてもらったこともあったそうだ。
塩田武史さん
学生時代、土門拳の撮影した原爆によるケロイドの生々しい写真を見たことで、原爆症研究会に参加。胎内被爆について調べているうちに、胎児性水俣病の存在を知ったことが、水俣に関心を持ったきっかけに。1967年に水俣を訪問。大学を卒業した1970年には、水俣に移住した。
これまでに撮影した写真を見ると、被写体となった人たちと交わした言葉の一つ一つがよみがえり、愛おしい気持ちでいっぱいになると語った。「こうした気持ちになれるという意味では、やってきてよかったなと思う」と語り、写っている全ての人に写真を手渡したいと話した。
宮本成美さん
大学卒業後、カメラマンとして勤務。1970年5月25日、厚生省前での水俣病患者支援者らが行った座り込み抗議活動の写真を、仕事で撮ったことがきかっけ。座り込みをしていた若者に、何か惹かれるものを感じたという。「彼らの真剣さや、水俣への思いが、とても新鮮だった。それまでに見てきた社会運動とは違うものを感じた。どんな人たちなのか、という興味が、水俣を取材するきかっけになった」と話した。
座り込みの写真には、若かりし頃の石牟礼道子さん(作家)の姿がある。36年前の抗議活動について石牟礼さんは、座り込んでいた若者らを、「含羞(がんしゅう)を含んだ青年たち」と表現したそうだ。「彼らは今どこに行っちゃったんでしょうね」と懐かしそうに話していたと紹介した。
大学卒業後、自分の生き方に悩んだ宮本さんだったが、水俣病問題に関わったことで、生きていくうえでの座標軸を得たと述べた。【つづく】
■関連情報
水俣を見た7人の写真家たち展=水俣市立水俣資料館
水俣市立水俣病資料館
「水俣を見た7人の写真家たち展」開催
日時:2007年9月30日まで
休館日:毎週月曜日月曜が祝日の場合はその翌日)
開館時間:午前9時〜午後5時まで 入館は4時30分まで)
入館無料、駐車場無料
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