今週のお役立ち情報
「若者たちの肖像」 美しい女優たちが活動と苦悩と希望を語る(2)
2007年06月02日15時34分 / 提供:PJ
【PJ 2007年06月02日】−
(1)からのつづき。演劇人をめざす女性たちには共通して、幼いごろから女優への憧れとか、願望とか、潜在的な動機があったようだ。心の奥底にとどめ、失わず、つねに夢と願望をもち続けてきた。彼女たちは中学、高校へと進むうちに一歩、二歩と演劇への道に踏み出してきている。
他方で、熱心な親が早くから『子役』というオーディションなどを受けさせ、能力を引きだすように導いたり、サポートしたりしてもらった女性もいる。『女劇TOKYO23KU』のメンバーのひとり、練馬くん(東京都出身)は演劇への道は親の影響がつよかったという。とくに母親が熱心で、3歳の時にはすでに演劇活動に入っていた。
「子どものころから、大人になっても、演劇に進むものだと、私は考えていました。歌、ダンスなど習い事はいろいろ学んできました」と話す。高校も演劇科だった。母親がいまも応援してくれているという。「母の期待に応えたい。目標は、多くの人に観てもらえる、名が知れた女優になることです。TVタレントだけでなく、舞台ができる女優になりたい」と抱負までも語ってくれた。
品川くん(広島県出身)は中学3年生のときに芝居、ダンス、歌ができる『タレント養成所』に入った。高校は演劇部で、全国大会に出るレベルだった。さらには演劇ができる大学を選んだ。つねに演劇へと歩んできた道だが、自分がどういうものをやりたいのか、まだ決めかねていたという。
大学卒業後の一年間はフリーで、3本の芝居に出た。その後、大学の先輩に誘われて、女劇に入ったのだという。「ここ(女劇)にきて舞台女優になりたい、と将来が見定まってきました」と話す。自分はなぜ舞台にこだわるのだろうか。それを自問すると、「それは客と役者が一緒の空間を作れる。お客の反応が直にわかる。だから、舞台女優を目指したい」という結論に導かれたのだと教えてくれた。
大田くん(東京都出身)は小学校から受験塾に通い、高校まで机に向かう勉強のみだった。高校時代の将来の目標はグラフィックデザイナーで、それを叶えられる美大が進路希望だった。彼女は美大受験の勉強に集中する一方で、舞台に興味を持ちはじめたのだ。
「校則の厳しい高校で、地味な生活をしていた私にとって、華やかなステージは憧れそのものでした。反面で、私は心にグラフィックデザイナーなりたいのか。本当に美大に進みたいのか、と自問するようになりました」
彼女は思い切って方向を変えた。そして、大学は芸術科演劇専攻に進んだのだ。
「それが演劇人生への入り口でした。幼い頃から勉強中心の辛くて窮屈な生活でしたが、演劇は私自身を解放してくれました」と話す。
大学卒業後も決して楽な道のりではなかったようだ。芸能プロダクションに2年間ほど所属した。「大勢のタレントのうちの誰かが当たれば良いという、営業姿勢でした。私は名前を売ることができず、一方で、イベントのナレーションの仕事をしていました。年齢的にもそろそろ将来を考え直さなければいけない。ナレーターを本業としていこうかと悩んでいたとき、友人に紹介されて女劇に入りました」といくつかの荒波を乗り越えてきている。
この先も楽ではないと思われるが、彼女はいまエネルギッシュに活動している。【つづく】
■関連情報
女劇TOKYO23KU
記者HP:穂高健一ワールド
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パブリック・ジャーナリスト 穂高 健一【 東京都 】
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他方で、熱心な親が早くから『子役』というオーディションなどを受けさせ、能力を引きだすように導いたり、サポートしたりしてもらった女性もいる。『女劇TOKYO23KU』のメンバーのひとり、練馬くん(東京都出身)は演劇への道は親の影響がつよかったという。とくに母親が熱心で、3歳の時にはすでに演劇活動に入っていた。
「子どものころから、大人になっても、演劇に進むものだと、私は考えていました。歌、ダンスなど習い事はいろいろ学んできました」と話す。高校も演劇科だった。母親がいまも応援してくれているという。「母の期待に応えたい。目標は、多くの人に観てもらえる、名が知れた女優になることです。TVタレントだけでなく、舞台ができる女優になりたい」と抱負までも語ってくれた。
品川くん(広島県出身)は中学3年生のときに芝居、ダンス、歌ができる『タレント養成所』に入った。高校は演劇部で、全国大会に出るレベルだった。さらには演劇ができる大学を選んだ。つねに演劇へと歩んできた道だが、自分がどういうものをやりたいのか、まだ決めかねていたという。
大学卒業後の一年間はフリーで、3本の芝居に出た。その後、大学の先輩に誘われて、女劇に入ったのだという。「ここ(女劇)にきて舞台女優になりたい、と将来が見定まってきました」と話す。自分はなぜ舞台にこだわるのだろうか。それを自問すると、「それは客と役者が一緒の空間を作れる。お客の反応が直にわかる。だから、舞台女優を目指したい」という結論に導かれたのだと教えてくれた。
大田くん(東京都出身)は小学校から受験塾に通い、高校まで机に向かう勉強のみだった。高校時代の将来の目標はグラフィックデザイナーで、それを叶えられる美大が進路希望だった。彼女は美大受験の勉強に集中する一方で、舞台に興味を持ちはじめたのだ。
「校則の厳しい高校で、地味な生活をしていた私にとって、華やかなステージは憧れそのものでした。反面で、私は心にグラフィックデザイナーなりたいのか。本当に美大に進みたいのか、と自問するようになりました」
彼女は思い切って方向を変えた。そして、大学は芸術科演劇専攻に進んだのだ。
「それが演劇人生への入り口でした。幼い頃から勉強中心の辛くて窮屈な生活でしたが、演劇は私自身を解放してくれました」と話す。
大学卒業後も決して楽な道のりではなかったようだ。芸能プロダクションに2年間ほど所属した。「大勢のタレントのうちの誰かが当たれば良いという、営業姿勢でした。私は名前を売ることができず、一方で、イベントのナレーションの仕事をしていました。年齢的にもそろそろ将来を考え直さなければいけない。ナレーターを本業としていこうかと悩んでいたとき、友人に紹介されて女劇に入りました」といくつかの荒波を乗り越えてきている。
この先も楽ではないと思われるが、彼女はいまエネルギッシュに活動している。【つづく】
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