【ファンキー通信 カルチャー編】昔の女性はノーパンだったって、ホント!?

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 皆さんは、江戸時代の女性は下着をつけていなかった、という話を聞いたことがありますか? そう言われてみると、男性は「ふんどし」を着けていたものの、女性においては「?」です。考えてみたら、時代劇でも見たことないですよね。果たして、江戸時代の女性の着物の下はどのような状態になっていたのでしょうか?

 まず、日本人女性が今でいう下着(ブラジャーやショーツ)を着ける風習ができたのは第二次世界大戦後と言われています。このことから、江戸時代の女性はブラやショーツというモノを身に着けていなかったということになりますね。当時は着物の下につける腰巻・襦袢・小袖・蹴出しまでを下着と捉えられていたのだそう。当時の女性からしてみれば“ショーツ”(パンツ)を履くという認識がないのだから、「ノーパンだった」という表現は適正じゃないかもしれないけど、今の時代で考えるとそうとも言えますね。ではなぜ、第二次大戦後に下着をつける習慣ができたのでしょうか?

 東京消防庁の「消防雑学辞典」によると、昭和7年に起こった白木屋百貨店(現:東急日本橋店)の火事がきっかけという説が有力とされています。上層階から網にすがって火事から脱出しようと試みた女性が、風で裾がめくれるのを抑えようと片手を離したため、体重が支えきれず墜落死するという惨事が起こったのだそう。

 当時はまだ着物を着用した女性が多く下着を着用していなかったため、裾がめくれて下半身があらわになってしまう羞恥心から、多くの死亡者や負傷者を出す結果を招いたらしい。この火災を教訓に、女性の下履きの重要性が叫ばれ、昭和8年頃から洋装化が進んだそうです。

 そうすると話は戻りますがノーパンだった時代は、女性特有の月に1回のアレはどうやって過ごしていたのでしょう? え? まさか・・・!? 殿方の前でする話題じゃないかもしれませんが、現代女性は気になりますよね!

 江戸時代の女性たちは、「半紙を横に4つ折にして2つ繋げ、紐で腰に結ぶ」という方法でその時をしのいでいたと言われています。その形が馬の腹帯に似ていることから「お馬」と呼ばれていたんです。とはいえ、これだけで「心配御無用」というワケにもいわず、その約1週間ほど小屋に籠もる生活を送っていたそうな。ハァ〜・・・昔の人って、こんなに大変な思いをしながら「女の子の日」を乗り越えていたんですね(涙)。

 というワケで、昔の人は下着をつけていなかった!という結果となりました。男性の皆さん、くれぐれも着物を見た時、変な想像しちゃイケマセンよ!(坂井あやの/verb)

■関連リンク
消防雑学辞典 - 文中で紹介した東京消防庁のWebサイト