【ファンキー通信 昭和編】ABC文体、昭和軽薄体(または“Kハク体”)って覚えてますか?

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 先日B人な女の子と、A画を見ていたら、狭い席だったので彼女の胸が当たった。非常にうれCのでR!!

 いきなりアルファベット交じりの下世話な話でキョーシュクなのだが、ほんの一昔前、我々の周りにはこういったC調な文章がありましたよね? これは「ABC文体」と呼ばれる文体なのでR。今から30年ほど前にリューコーしたのでR。そして私は見ヨー見マネでその文体をコピーしてみたのでR。カタカナを多用した文体は当時「昭和軽薄体」と呼ばれ、主に作家の嵐山光三郎や、椎名誠らが使用していたのでR。テンションあげて書いているのだが、ヒジョーに恥ずかCので普通の文体に戻してもEかな?

 さて、そんなある世代から上の人にとっては懐かしく、知らない世代にとってはちょっと新鮮かもしれない昭和軽薄体、いったいどうしてこういった文体がもてはやされ、そして急速に絶滅していったのであろうか? サブカルチャーに精通し、80年代のカルチャーを詳細に網羅した個人サイト「radiodAze」管理人のオクダケンゴさんに聞いてみました。

 なんでこんな流行が生まれたんですか?

 「これを提唱した嵐山光三郎のメディアへの露出が多かった時期には、島田雅彦が『優しいサヨクのための嬉遊曲』(1983年発表)という作品でデビューします。ここでの『サヨク』とは、従来の『左翼』とは一線を画した新しい概念。70年代に象徴される学生運動が終結して、『左翼』はちょっと古いな、と大衆が思っていた時期に、あえてカタカナ表記にしたことで、新たな概念として左翼を復権させようとした。このように、この時期には本来の意味とは少し違う意味、新しい概念としてカタカナ用語を多用するようになったことが大きいと思います」(オクダケンゴさん)

 「病気」ではなく、「ビョーキ」と書くことによって、本来の意味を崩したり、どこか自嘲的な意味を生み出したりする要素がカタカナにはあるぞ、と当時の文化人は気づいた。時を同じくして糸井重里ら『コピーライター』という仕事に脚光が集まるようになる。彼らは新しい言語感覚を持って、文化に影響を与えた。彼らは言葉のプロフェッショナルではあるが、それまでの文化人と違い、圧倒的に軽く、ポップな表現で既成概念に対抗し、若者にリスペクトされた。つまり、重い=既成概念、軽い=今っぽい! という世相に乗って昭和軽薄体という言語がもてはやされたわけだ。しかし、なぜ急に廃れてしまったのだろう?

 「これは簡単ですね。特にそれ自体が珍しいものではなくなったからでしょう」(オクダケンゴさん)

 なるほど。つまり、世間一般に軽い文章が浸透したので、わざわざ「軽薄」であることを主張する意味がなくなったというわけだ。しかし、こんな時代だからこそ、あえて「昭和軽薄体」、「ABC文体」でブログを書いてみてはどうだろう? ちょっと面白いかもよ。(梅田カズヒコ/verb)

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