WCG2002で優勝したHALENこと中村選手。彼は世界の人気者だ

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 僕が「任天堂ってすごいなあ」と思う理由のひとつは「脳を鍛える大人のDSトレーニング」というゲームソフトを大ヒットさせたこと。社会現象にもなった本作は、それまで蔓延していた「ゲームばかりやっているとバカになる」という迷信を払拭した。いや、払拭は言い過ぎか。「ゲームは悪者」という世論を「ゲームには良いものと悪いものがある」という認識にまで押し戻した。ゲームに対する批判的な言論に対して、言論によって反駁するという方法もあるけれど、任天堂はゲームの良さをゲームソフトそのもので強力にアピールし、あっという間に社会に浸透させた。これは正攻法であり、実に正しい方法だ。

 相変わらずゲームに対する批判は根強い。だけとそれらの大半は屁理屈のようなもので、いちいち反論するなんて無駄な労力にも思える。ならば、そのパワーをゲームの良さをアピールする方向で使っていきたい。ゲームがいかに素晴らしいものか、Eスポーツには、それを語るにふさわしいエピソードがたくさんある。スタープレイヤーとなったプロゲーマーのサクセスストーリーを筆頭に、誰にでも享受できる体験もある。

 2001年にソウルで開催されたWCG(World Cyber Games)を取材したときのことだ。あの時、日本代表選手は「エイジ・オブ・エンパイア2 覇者たちの光陰」で3人、「ハーフライフ・カウンターストライク」で1チーム5人、「クェイク3アリーナ」で3人、「アンリアルトーナメント」で3人、合計15人の選手団が主催者から招待されていた。残念ながら結果は思わしくなく、決勝に進めた選手はいなかったけれど、僕はその選手たちに解説してもらって観戦を楽しんだ。会場を歩いていると、日本人選手たちが韓国の選手と楽しそうに話している。WCGはオリンピックのように各国代表が選手村で生活するから、早くも仲良くなったようだ。しかし、話を聞いてみたら違った。彼らはWCG以前から交流していた。しかも、お互いの国、お互いの家に遊びに行き、泊まって遊んでいる仲だという。

 これには少々驚いた。それと同時に感心した。なぜなら、当時の日本と韓国の交流は、隣国といえども活発ではなかったからだ。まだ日本でヨン様ブームは無かったし、BOAさんもユンソナさんも来日していなかった。日本の新聞は韓国の反日集会を大きく取り上げていたし、日本の論壇も反日感情に対する反感に満ちていたような気がする。日本の社会はどちらかというと欧米ばかり見ており、ようやくNEEDSに注目し始めた頃だった。

 芸能方面では韓国との交流が深かった。韓国人の演歌歌手が日本で活躍したことがある。そして韓国映画の「シュリ」や「JSA」が欧米で高く評価され、日本でも注目が集まった。私は「シュリ」を見て韓国に興味を持ち、その夏にパイク仲間と旅行社のツアーに参加し、ソウルと板門店を巡った。自分たちがいかに隣の国を知らなかったかと大いに反省した。現地ガイドさんの話から、両国の歴史認識の差を思い知ると同時に、両国の大人たちは反感を残しているとしても、僕らや次の世代では良い関係が築けることを願った。それがいつになるだろう……と思っていたら、なんと、日韓のゲーマーたちはとっくに仲良く遊んでいたのである。ゲームがきっかけとなって海外交流が始まっていた。

 日本と韓国のゲーマーたちがオンラインゲームで一緒に遊んでいる。これは考えてみれば当たり前のことだった。タイムゾーンが同じだから、学校から帰り、パソコンに向かう時間が同じ。日本ではまだオンライン対戦が広まっていなかったので、自然に韓国や台湾のサーバで共に遊ぶことになる。もちろん、いつも和気藹々というわけではなかっただろう。言葉は違うし考え方も異なる。喧嘩も多いに違いない。しかし、合間見えることが多ければ、それだけ親しい仲になる機会も多いわけだ。偏屈な大人たちが反目しあっている間に、次の世代の少年たちはゲームの対戦で仲良くなり、お互いの国を訪問しあう。そんな付き合いが自然に始まっていた。私はこの事実を知って感動した。