今週は裁判が続いた印象のある毎日。前半の村上ファンド公判に続き、金曜日はライブドア裁判の弁護側最終弁論だった。弁護側は「事件は蜃気楼(しんきろう)だった」と主張し、堀江被告は無罪を訴えて法廷で泣いたそうだ。どうも、これまでの経過を見ていると、検察側のゴリ押し、無理を重ねた捜査との印象がつきまとう。無罪にでもなれば、大変なことだろう(判決は3月16日)。

 ところで、ここのところ仕事が忙しいのかどうか、まとまった大部の本が読めていない。読むのは新書ばかりで、自分でもちょっと情けないところですなぁ。ただ、新書でも優れた本があることは事実である。

 先日、2日ほどかけて『これが正しい!英語学習法』(斎藤兆史著・ちくまプリマー新書)を読み終えた。斎藤先生は東大の助教授。私もご多分にもれず「英語がうまくなりたい」と、学生時代から勉強を続けてきたが、この本は実に素晴らしい本だと思った。

 まず一番のポイントになるのは、受験英語を決して否定していないこと。近ごろは「英語は楽しみながら自然に身につけるもの」などというたわごとが幅を利かせているが、トンデモナイことだと思う。勉強すれば分かるが、文法だって非常に大事なものなのである。私は日本人の持つ読解力や基礎的単語力の高さは、受験英語の賜物(たまもの)だと信じている。英語環境にない我われが、あれだけ難しい小説やエッセイを、辞書片手にでも読めることの素晴らしさを感じる者だ。

 そして、先生は「英語学習に近道はない」と堂々と正論も述べておられる。実は私も、「2週間で英語ペラペラ」とか「1日5分でしゃべれる英会話」とかいう、怪しい英語本をけっこう買ったりしている身。そして、いつも安易にダイエットを求めるような自分のふがいさなを慨嘆するのである。

 斎藤先生の本の記述で、一番意を強くしたくだりは「毎日1時間、6年間英語の授業を受け続けただけで英語が何不自由なく使えるようになった人の話など、聞いたこともありません」というところだ。実にそういうことである。

 私たちは英語圏の住人ではないので、日常的にはほぼ英語に接する機会がない。第2公用語のように使う香港、フィリピン、シンガポールなどの人とは決定的に違う。つまり、いくら勉強するといって、週に2、3時間の学校英語などでは「しゃべれるようになることなど、絶対にあり得ない」のである。これ、ホント。

 その上で斎藤先生は、読む、書く、聞く、話すという、あらゆる言語学習の基礎について、それを地道に反復練習することの大事さを説いておられる。これも実に正しい主張だ。言葉の習得に“近道”などというものはあり得ません。

 斎藤先生は中学校のころから、本当に英語の勉強が好きだったらしい。そして、長年の夢だった英語の教師になった。私たちはそうしたアプローチとは別に、抜き難い欧米コンプレックス、英語コンプレックスのようなものを払拭(ふっしょく)しない限り、いつまでも無駄な抵抗を続けることになるだろう(私もそうかもしれませんが)。

 数十万円の大金を払って、駅前留学Nに通う。私の友人にも実際いるのだが、英語が使えるようになったなどとは、ついぞ聞いたことがない。それが現実。我われの“英語学習好き”はかなり異常である。【了】