何か長ったらしい横文字の用語を聞いた時には、「また、こけおどしか」と思ったものだが、「サラリーマンの残業代がゼロになる」として話題になっているのが「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度。「裁量労働制」と呼ばれるものだ。

 こうした導入論議がいつもそうであるように、これはアメリカで実施されているものであり、米国公正労働基準法でいう、一定の条件を満たす社員に対しては労働時間規制を適用除外(エグゼンプト)する規定を指す。米国と同様に日本も労働時間は週40時間と決められているので、それを超えて働かせる場合には割り増しの残業代を支払わなければならない(労働基準法)。しかし、その制度の根幹が揺らいでいる提案ということになる。

 もともとは日本経団連が、05年春に提唱。政府も、06年6月に厚生労働省が素案を示し、労働政策審議会分科会(厚労相の諮問機関)は同年12月27日(昨年末)、制度導入を求める報告書をまとめた。

 そこでいう対象者の条件を示しておくと、▽重要な権限と責任を持つ▽年収がある程度高い▽使用者から具体的な指示を受けない――といったもの。要するに同じ事務職であっても、ある程度の地位にあり、自分の裁量で働ける人については「時間の自己管理をして、余分な残業はしないように」と求める趣旨なのだろう。

 これに対しては、もちろん賛否両論がある。かなりかまびすしい論議になっているが、労組はもちろんのこと、自民党の一部および公明党、労働法学者も反対声明を出したりしているのが現状だ。おおむね、反対論が多い印象があるが、厚労省は今通常国会に提出の意向(年収は900万円超を想定)のようである(12日現在では、政府・与党で調整中)。

 もちろん、制度導入=いきなり残業代ゼロというのは短絡した議論だろうし、現在も労使協定によって裁量労働制と呼べる賃金制度を採っている職場はある(出版社、テレビ局など、主に編集職場)。打ち切り制の残業代を出している職場だ。

 こうした実態をもって、日本のホワイトカラー職場は生産性が低い、実質的に現在の残業制度は機能していないのだから、こうした制度にも意義はある、とする意見がある。果たしてそうだろうか。私は個人的に、この制度は全く日本の職場の実態にそぐわない制度だと思う。そもそも、いくら中間管理職もどきといったところで、自分の勤務時間、勤務状況をキチンとコントロールできる人がどのくらいいるのだろうか。上司がいれば帰れない、というのが未だに日本の職場の実態ではないだろうか。

 それにしても思うのが、日本の経営者たちのここへ来ての“強気”である。パート雇用の増加、非正社員の圧倒的な伸長によって、日本の企業は息を吹き返している。それと対になっているのが、労組の組織率の低下である。

 昨年末の厚労省推計によれば、日本の労組組織率は18・2%まで低下した。私のような「クミアイにたのんでみよう!」の世代からすると、隔世の感のある時代である。もう、日本の雇用者はやりたい放題なのだ。CSRやガバナンスといった美名の陰に隠れてしまっている、前近代的な雇用実態といったものにもっと目を向ける必要があるのではないか。外食産業にしても、一部メーカーにしてもその勤務実態はヒドイものがある。「働くもののやる気」などという美辞麗句に騙(だま)されてはいけないのだと思う。

 経団連の会長である御手洗冨士夫氏の率いる会社は、その家族的雰囲気でも有名。たしか御手洗氏自身も「私は決して成果主義にはくみしない」と語っていた覚えがある。それが、どうなってしまったのだろうか。

 米国式の実質主義、成果主義が幅をきかせ始めてきた数年前、ある大手医療機器メーカーの社長が言っていた言葉が忘れられない。「私は成果主義を導入するつもりは全くない。社員を大切にしない会社は、やがて行き詰まると考えていますから」――日本的慣行は、決して非難されるべき点だけではないと思うが……。【了】