かねて逮捕のうわさのあった和歌山県知事の木村良樹容疑者(54)=辞職表明=が15日、とうとう競売入札妨害(談合)の疑いで大阪地検特捜部に逮捕された。知事の談合容疑による逮捕は史上初めてのことになる。少し前に逮捕された福島県前知事・佐藤栄佐久容疑者(67)のように、多くは「収賄」で逮捕されるのが通例の知事の犯罪。一方で、今回も木村容疑者の収賄容疑は視野に入っているようなので、いずれ再逮捕ということになるのかもしれない。

 また私的な物言いになって恐縮なのだが、この和歌山という土地は、私が20数年前に駆け出し記者として3年弱勤務した懐かしい場所でもある。もちろん、今の様子は知事を含めて全く分からないものの、おそらくは土地柄やその底流にあるものは変わっていないと思う。住友金属という地元企業の勢いが衰えてからは、公共工事はこの町の重要な景気起爆装置になっていたハズ。当時から、談合の体質も深く根強いものだったと記憶している。

 今回の事件。概要だけ記しておくと、当初、県発注のトンネル道路改良工事の談合容疑で前出納長・水谷聡明容疑者および知事の知人のゴルフ場経営会社元代表らを10月12日に、競売入札妨害容疑で逮捕。その後、談合の仕切り役だった大林組元顧問ら計5人と前記2人を同容疑で起訴した。木村知事の容疑は、別の下水道シールド工事(予定価格約11億5000万円)で、工事を準大手ゼネコンの「熊谷組」JVが受注するように工作し、さらに自分の選挙を応援した同県海南市の「丸山組」がその受注JVに入れるように、担当者だった水谷容疑者に指示したとするものだ。

 ちなみに、予定価格に占める落札額の割合は96・8%の高率。談合の構図としてはかなり単純なものである。さらにひと言付け加えさせてもらうと、この事件に絡んで地検から事情を聴かれていた元出納長(71)が今月8日に電車に飛び込み自殺をしている。このN元出納長は、私が和歌山県庁詰め記者だった頃の秘書課長、知事公室長で個人的にもよく知る人だった。東京事務所長の経験もあり、私は東京でも1回会った記憶がある。

 やり手の好人物と思っていただけに、こうした犠牲者を生む事件の構図に哀(かな)しい感慨を覚えるばかりだ。

 談合の実態やその犯罪性については、今さら説明するまでもないと思う。ごく最近も各地で話題になっているように、官製談合のうわさは絶えないし、実際に一部の自治体を除いてかなり常態化しているとニラんでいる。問題が多いことは事実なのだが、今回の和歌山の事件を含め、あえてその細部に立ち入って論じることは控えたい。

 私の言いたいのは、こういうこと。談合はなかなかなくならないし、もっと言えば日本という社会全体が“談合社会”なのではないか、ということだ。

 以前も書いたように、農耕民族としての日本人の性情は、予め決められた「掟(おきて)」に従わない人間を激しく排斥しようとする。裏切り者は手ひどい仕打ちを受けるし、これは談合現場でも、いじめの中身でもまるで同じ実体を伴っているのではないだろうか。

 また、異質なもの・異形のものを厳しく排除しようとする。これもまた、建築や建設業界の同業の輪の中で、自分たちの規範を守れないものを徹底して排除しようとする“体質”そのものだろう。

 一方で、談合はなくならない(建設業者はみな、こう断言する)と言いながら、その犯罪性を擁護する気も毛頭ない。落札率96%、97%などというのは本来あり得る話ではないし、税金がムダ遣いされていることは明白である。

 助け合いといえば聞こえはいいが、そのカラクリにも気がつくべきだろう。談合は必ず大手企業が不労所得を得るように仕組みができあがっている。ここでも、他の社会と同じく弱い者いじめ、陰湿な仕返しや足の引っ張り合いが厳に存在しているのである。

 日本社会の悪しき体質としての談合。談合は真の意味の助け合い、相互扶助ではないことを、国民はよく理解するべきだろう。日本人が本来持つ“助け合い体質”は決して悪いこととは思わないが、悪い意味での“談合体質”とは決別すべき。私たちはもっと大人になるべきだ。【了】