スーダンの母子(提供:難民を助ける会)

写真拡大

人道支援への“入り口”とその“精神”について考えてみたい。ひとくちに人道支援と言っても、紛争や災害などの直後にその復興を支援する「緊急支援」と、経済発展などを支援する「開発支援」に大きく分けられる。前者が短期的、後者が長期的という違いはあるが、人道的配慮から行う支援であることには変わりない。紛争、自然災害、経済発展の遅れなどで苦しむ人びとに注目し、食糧や医療を提供するのが人道的支援と言える。

人道支援に携わる動機

 一方、人道支援を仕事にする人にその理由を聞いても、声高にその意義を強調する人は少ない。ある人は「生まれながらに身分や生活に差があるのはおかしい」と口を開いてくれたが、そうした答えの中でよく聞かれたのが、“地球市民”という言葉だ。“地球市民”とは、地球にいるすべての人は同じ権利を持ち、その権利が実現されるためにすべての人が努力すべきという発想から生まれた言葉である。平和や豊かな生活を享受していても、それを単に「自分が恵まれている」として片付けるのではなく、その裏側で戦争や貧困に苦しむ人びとに想像力を巡らせる。そのことがこうした活動の原動力に結びついていく。

 アジア地域を中心に国境を越えて人権活動をするNGO「ヒューマンライツ・ナウ」を7月に立ち上げた伊藤和子弁護士は、以前は国内の子どもの人権などを扱っていたが、国際会議への出席を機に海外の問題も意識するようになった。海外事情を学ぶために留学した米国で、弁護士などの専門的な職業を持った人が無報酬で社会貢献活動することを知り、共感した。日本で当たり前のことが国際的な基準を満たしていないことや、世界中で活躍するNGOがアジアを見下したりしていることに気づき、NGOの立ち上げにまで活動領域を広げた。

 難民を助ける会の堀江良彰事務局長は、日本が恵まれているとの意識はあっても、具体的な活動をすぐに始めたわけではなかった。たまたま30歳のとき、何かしようと思ってNGOの活動に入り、いろいろなものが見えてきた。「たまたま恵まれた状況にあるけれど、いろいろな国との関係があってのこと。自分には関係がないと無関心でいるのは簡単だが、それはいつか自分に返ってくる」と感じているという。

 また、国境なき医師団日本会長の臼井律郎医師は、11日に東京都千代田区の日本外国特派員協会でアフリカの紛争地スーダンでの活動報告をした際に、「報酬の有無にかかわらず、医師としての使命がボランティア活動で果たせる」と、人道支援をするモチベーションについて述べた。その理由については「その場に行けば感じることだ」と明快に説明している。

自分がいない場所のことを想像

 児童労働に反対する「グローバルマーチ」代表を務める活動家カイラシュ・サティヤルティさんは6月に来日し、自分のことだけを考える視野の狭い人に“地球市民”の考え方を身につけさせるためには、「経済だけでなく知識や情報をグローバル化する必要がある」と訴えた。

 「物を安く買うことだけに興味を持つのではなく、それがどういう過程で作られているかまで考えることなど、自分がいない場所のことを想像することは、人道支援が必要な場所に行かなくてもできる貢献への第一歩だ。さっき食べたチョコレートはガーナの子どもの強制労働により作られているかもしれないし、洋服が高くなったのは綿花の産地スーダンの紛争が激化しているからかもしれない」と…。(つづく)

■特集:人道支援から平和を考える
(3)見えない効果を見せる(8/18)
(1)支援の主体は“国家”から“人”へ(8/16)

■関連記事
アジアの人権問題を解決せよ(7/28)
支援のためで、死のためでない(8/11)
児童労働、日本も無縁でない(6/9)

■関連リンク
国境なき医師団日本
ヒューマンライツ・ナウ
難民を助ける会