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昭和16年(1941年)8月15日生まれの感想

【PJ 2006年08月15日】− 私は昭和16年8月15日生まれです。今まで誕生日を人に聞かれて言うと決まって終戦記念日の生まれですね。との返事が返ってきてそこから会話が弾みました。

 私の生まれた昭和16年の12月8日は大東亜戦争、つまり第二次世界大戦に突入した日であり、この戦争が昭和20年8月15日に終戦を迎えましたから、戦争の初めと終わりに関係する生年月日なのです。

 私の母はよく生前に、戦争が開始された年の8月に生まれ、終戦の年は4才だったので、その間の食料事情が悪く、可哀相だったと良く話しておりました。そういえば、小学校の同窓会で集まる同窓生も、身長が165センチ位が標準のようであります。終戦の昭和20年8月15日以後の思い出としては、外人さん(アメリカ人)が車に乗って通るときにガムをもらったことです。かむと口に中にさわやかな甘さと香りが漂ってなんと美味しいガムなんだろうと思った印象がいまだにあります。

 また、家に入った玄関の部屋には広さが2畳ぐらい、深さ1.5メートル位の防空壕が掘られておりました。当時は年一回の衛生掃除(夏の前だったと記憶しております)というものが学区でいっせいに行われ、部屋の畳を全部上げて玄関先で叩いて畳の中からほこりを叩き出す大仕事がありました。畳を上げるとコオロギが出てきたり、中に入ってみると土で囲まれた空間がひんやりとした冷たい印象がありました。

 戦後7−8歳の頃に父や母にこの防空壕での生活を聞いた記憶によると、空襲警報がなると外にあった防空壕の入り口から頭に頭巾をかぶって中に入って、飛行機が通過するまで静かにしていたとのことでありました。最も3歳、4歳ぐらいの男の子が大人の言うように黙って静かに出来たかどうかは疑問ではあります。

 なにはともあれ、戦中派と言うのでしょうか、終戦前の食糧事情の悪いときから両親に守られて育てられ、戦後61年の歳月が流れた今日まで健康が保たれたことについて感謝する次第です。【了】

※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 山田 勝彦【 滋賀県 】
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