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戦災メモリー、私にとっての「火垂るの墓」(下)

戦災メモリー、私にとっての「火垂るの墓」(下)
香炉園海岸近くの夙川。写真左岸に回生病院があり、兄妹が遊び、節子が湿疹を浸した香炉園の浜も近い。白砂青松の海岸だったが埋め立てが進み、見る影ももない。私には無残な光景。節子たちが遊んだ浜をカメラで紹介する気になれなかった。(撮影:今藤 泰資)
【PJ 2006年08月15日】− (中)からのつづき。夙川の河口東岸にある回生病院は、何度も清太が話題にした病院だ。兄妹で香炉園浜辺に出て遊んだ帰りのシーンに正面玄関が出てくる。病院本体は今風の豪華建造物に代わったが、玄関は古びた昔の面影を残している。清太たちが立ち寄る1年前、1944(昭和19)年の6月、6歳の私は腎臓炎でこの玄関から入院した。重篤ではなかったが、宮西町の自宅から母は私を背負って運び込んだ。清太たちの母はひどい火傷でも入院できずに死んだ。節子は飢餓状態で下痢をおこし、清太も1カ月後三宮の駅で死んだ。当時、祖母、両親、姉兄に囲まれ、加療を受けた私は幸せだった。母の背の温もりは今も生々しい。こんな幸せを知るには、60年以上の歳月が要ったことになる。

 夙川の夏は夾竹桃が見事だった。今では2300本ものサクラの名所。47万都市の川にしては汚れが少ない。川幅が狭くなったように思えるのは改修の結果か、視点の変化か…。そぞろ歩きの道すがら、浅瀬でカニを見つけた。回生病院に入院中、1匹のカニを貰ってホウロウの洗面器に飼ったが、夜中に逃げられた。翌朝の悲しさが60年後によみがえる。とはいえ、人の記憶ほどアテにならないものはない。

 歴史評価とて同じこと。1945年8月5日深夜から6日の黎明にかけて、西宮、尼崎、芦屋に爆撃を加えたB29は合計285機(松尾石根氏調査)。恐ろしいほどの機数だった。鳴り響く空襲警報。交差するサーチライト。パイプ状にきらめく爆撃機群。夜空を朱に染める焼夷弾。空気を切り裂く投下音。炸裂する1トン爆弾。艦載機から降り注ぐ機銃弾。怒号、悲鳴、うめき。そんな中での「サクマ式ドロップ」、か…あれは夢か、はたまた幻か。「戦災」はもう死語。「幸せ」はいい。「幸せ」とは「何もない」こと。「幸せ」を感じられる人間だけが「幸せ」になれる。第二次大戦中における兵庫県の戦災による死者は、1万1863人(国交省調査)。数字は確定されたものではない。しかし多数の「清太や節子」が他にもいたのだ。

 野球帽の少年が夙川で一人遊んでいた。この子のハラは減ってそうにない。湿疹でもない。心も病んでないし、親も元気なのだろう。もちろん、「爆死」なんて知るはずもない…。それでいい。それでいいが、でも、同じ年頃の子ども達が、世界のどこかでこの瞬間も殺されてゆく。「火垂るの墓」は、悲しすぎて評価できない。それでもこの映画の全ては私の原点。あの日を追想できるのはここだけ。センチメンタルジャーニーはもう終わりにしたい。だが、子どもを巻き込む戦争やテロは、とても終わりそうにない。【了】
※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 今藤 泰資【 茨城県 】
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