中国のハンセン病回復者の集落で行ったボランティア活動の思い出を語る小久保利恵さん(撮影:吉川忠行)

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「『偽善じゃないの?』って思われているかもしれないけど、それは打ち負かしてやりたい」──。握りこぶしをひざにポンッと打ちつけながら、2006年度ミス日本グランプリの小久保利恵(21)は力説した。

 ハンセン病への偏見・差別を助長させた「らい予防法」が廃止されてから10年、ハンセン病国家賠償訴訟勝訴から5年。ハンセン病回復者と関わり続けてきた女の子が、2461人の応募者の中からミス日本に選ばれた。小久保は早稲田大学第二文学部に通う大学3年生。新学期も始まり、全国各地でのイベント出演と勉強の両立で大忙しだ。インタビューを行った日も、直前まで女子学生向けの就職関連のイベントで講演し、終了後も参加者に囲まれ、様々な質問を受けた。予定の1時間遅れで、約束の場にあわてた様子で現れたが、ハンセン病のことになると一転、真剣な表情で語り始めた。

ハンセン病の村でひたすら土木作業

 ミス日本コンテスト関東予選を2日後に控えた8月27日、小久保は中国・広州西部の、さらに外れにある小さな村にいた。40人ほどのハンセン病回復者がひっそりと暮らす集落に、日中の大学生20人と2週間住み込み、炎天下でひたすら土木作業。手足が不自由な高齢の村人たちのために、家屋の補修や道路舗装をした。空き時間には、家々を訪ね、感染して、隔離されて以来の苦難の記憶を語る声に、真剣に耳を傾けた。「忘れられた村」は、地元でも存在さえも知られていないのが実状で、高齢化で数十年もすれば消えていく。自分の掌(てのひら)には、後遺症で丸くなったおばあちゃんの手。日焼け止めのクリームを2重3重に塗りこんだ頬には、涙がこぼれた。

 「私、本当にミス日本になって、ハンセン病を知ってもらうために宣伝します」。帰国後、久々に集まったボランティア仲間の前で、予選を通過した小久保はこう決意を表明した。コンテスト審査と授業の合間をくぐって、日本のハンセン病回復者とともに台湾や韓国にある療養所を訪問しては、そこで見聞きしたことを、友人や知り合った人にネットを通して発信。「本当にうつらない病気なの?」と心配していた母親も、ハンセン病のことを理解し、「よくやるねぇ」と感心するようになったという。一方で、ネット上の掲示板では「ボランティアしたもん勝ちね」「点数稼ぎじゃないの?」と匿名で誹謗中傷する書き込みが目立つように。思いがけない反応に悩みながらも、顔の見えない相手一人ひとりに、本当の気持ちを説明しつづけた。

 ミス日本になった今、小久保はイベントや取材のたびに、その発信力を生かそうとハンセン病のことを必ず話す。取り上げられた新聞記事には「社会福祉命!」との見出しも。小久保は「ミスがボランティアに取り組むギャップは注目されるし、みんなに問題を知ってもらえる機会も多くなる」と“戦略”を明かす一方で、「私がチャラチャラしているように見られたら、ハンセン病に関わる人にも迷惑がかかる」と責任の大きさも自覚している。

父の死、登校拒否、ハンセン病との出会い

 「らい予防法」が1996年4月に廃止された10年前、当時中学生だった小久保は、ファッション誌の専属モデルもこなす一方、サックス演奏の全国コンクールで金賞に輝いた。その後、神奈川県内屈指の進学校で順風満帆な高校生活を送っていたところに、2年前に大手術をして完治したと思われていた父のガンが再発。強くて大きい父が衰弱していく様子を目の当たりにしながら、最期の2カ月間をともに自宅で過ごした。一家の“大黒柱”を失った後、仲の良かった家族どうしの関係はギクシャクしがちに。登校拒否になるなど、ギリギリの精神状態になりながらも、家族の絆を必死で取り戻してきた。

 高校卒業後、1年の予備校生活を経たが第一志望の大学は不合格。早稲田といえども「夜学」にいるコンプレクスを乗り越えようと、サークル活動とは無縁で勉強一本の学生生活を送っていた。「自分を変えよう」と言い聞かせる中、たまたま履修した授業で、エイズやハンセン病など病気で偏見・差別に苦しむ社会の矛盾に遭遇。夏休みには、講義の一環で中国のハンセン病回復者を支援するワークキャンプに迷うことなく参加した。父の闘病に立ち会った5年前の「国賠訴訟勝訴」を伝えるニュース映像が何となく頭に残っていた程度のハンセン病問題が、「私とは無関係のことではないかも」と身近なものに変わっていった。

「大事な問題を忘れていくのはイヤ」

 2月にミス日本に選ばれてからは、周囲の人間から何かともてはやされ、全国各地のイベントに引っ張りだこの毎日。といっても、ミス日本の任期は来年春までと長くはない。小久保は、常に謙虚さを心がけ、自分の立場を冷静に見つめている。「『ミス日本』とは呼ばれるけど、『こくぼりえ』とは言ってくれない。1年しか注目されないということも自覚しています」。

 目標は、ミス日本の先輩でもある女優の藤原紀香さん。テレビドラマなどで活躍する傍ら、自らの意志でアフガニスタンを旅し、撮った写真を日本で紹介している。芸能界とボランティアを両立する彼女の活躍が「そういうやり方もある」と気付かせてくれたという。当初は「ジャーナリスト宣言」をしていたが、就職活動を始める周囲を横目に、「自分に合っているものは何か」と揺れることもある。活躍の場が広がった今、国際的に活躍できる女優と、WHOなどが世界各国で取り組むハンセン病制圧の広告塔の両方をゴールに定めた。

 「私とは比べものにならない程の辛い思いを抱えながら、自分なりに生き抜いてきた。『国が悪い』と言ってばかりではなく、『そういうこともあったけど、今はこんなだよ』って」。ハンセン病療養所で出会うおじいちゃん、おばあちゃんの魅力について、小久保はこう語る。今夏には中国のハンセン病回復者の集落を再訪、「日本でもやれることを」と国内に15カ所ある療養所への訪問も考えている。「関わりを持ち続けないと、自分が道からそれていくような気がする。根っこはそこにあるのに、大事な問題を忘れていくのはイヤなので」と芯の強さをのぞかせた。(敬称略)【了】

■関連リンク
ミス日本グランプリ決定コンテスト公式サイト
ハンセン病に関する情報ページ(厚生労働省)
早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター