音楽を一生の生業としてやっていくという強い意志。デビューはあくまで通過点に過ぎない。現状に満足することなく、常に向上心をもってアーティスト活動を行うことは、決して容易なことではない。デビューから1年、YUIを音楽の道へと駆り立てたものは何だったのか。

――デビュー前にはストリートで歌ったり、オーディションを受けたりという時期があったかと思いますが、学校を辞めてまで音楽の道に進みたいと思った、初期衝動のようなものはありましたか?

YUI:音楽は小さい時から自然にそばにあったものだと思うんですけど、母のカーステレオやラジオから流れてくる、母が聴いていたのは大黒摩季さん、ユーミンさんだったんですけど、それを覚えて歌っていたり。その後も小学生になって「歌手になりたい」というようなことも言っていたみたいなんですけど、ずっと音楽はすごく身近にあった感じでしたね。

15〜6才になって、バイトと学校を両立するようになって、時間がどんどん無くなっていっちゃったんですよね。自分の思うように音楽ができなくなってきて、ちょっと苛立ってしまったりしていたんですけど、その時ぼんやりと「自分のこの先に音楽の道は無いのかな」っていう風に思ったんですよね。その後に体をちょっと壊して入院してしまって、その時に考える時間ができて、「やっぱり音楽の方に進みたいな」というか、「音楽どうにかしたいな」という気持ちがすごく強くなって。学校と音楽というのは両立できることではなかったので、学校を辞めて音楽の方に進みたいなという気持ちはどんどん強くなってましたね。

その後にストリートライブに出会って、その時に生の音だったり、自分達の書き綴っている言葉で歌っているというのがすごく届いて感動したんですよね、衝撃というか。それで、そのライブが終わって話し掛けに行って、「音楽どうにかしたいんですけど」ということをお話ししたら、地元の福岡に音楽塾があるよ、って教えていただいて。それで、その音楽塾に入ってから、ギターと曲作りを始めましたね。

――例えば洋楽だと歌詞の意味が分からなかったとしても、単純に音だけで好きになれたりして、自分も同じようにそういう音を発したいのか、それとも自分の中に伝えたい言葉やメッセージがあって、それを歌詞にして、色んな人に伝えたいのか、その辺はどうですか?

YUI:それはどっちもだと思いますね。洋楽もたくさん聴いてましたし、自分の中にある感情というものを表現することもありましたし。でもやっぱり、曲作りをしている時っていうのは、詞を書くのは後なので、曲の雰囲気とか、コード感とか、メロディっていうのをものすごく自然に考えていったりとかすると思うんですけれども。どっちも自分の中で自然に出てくるものだったりするんじゃないかなって思いますね。

――自分の中にあるものを色んな人に聴いてもらいたいという、一方的な感情ではなくて、聴く側にもそれを同じように理解してもらいたいのか。それともまずは自分の中にあるものを伝えたい、それが聴く人によってどう解釈されるかは人それぞれで構わないのか、どっちなのかなと。

YUI:それはどっちというのもないと思いますね。自分の中にあるものを伝えたことで、同じ想いの人がいることに気付くと言うか。例えば「feel my soul」という曲は、上京するということで、もがきながらも前に進んで行きたいっていう気持ちを書いていて。もしかしたらそういう気持ちになったことがある方もいるかも知れないし、…っていうのは、今としては思うんですけど。「TOKYO」という曲も上京している時の気持ちをメモしていたのが曲になっているので、そういうところももしかしたら。

「TOKYO」の場合は、ライブや福岡でやっていたラジオのエンディングで掛けさせていただいている時に、たくさんのお便りとか、「どんなタイトルなんですか?」というお問い合わせをいただいて、それでシングルとしてリリースすることになったんですけど。「そういう感情になったことがある方もいるのかな」という風に思いますね。

――自分はこういう風に伝えたつもりだったけど、聴く側は違うように解釈していて、それに対する苛立ちのようなものを感じたことはありますか?

YUI:それはもう逆に言えば曲を言葉で説明するよりも、「聴いてもらいたいな」という気持ちが強いですね。

ストリートライブでの感動がYUIを音楽の道へと進ませた。感動を与えられる側から、与える側へ。あの頃、一人の観客にすぎなかった彼女が、今では、多くの人間の共感を呼び、感動を与えられる人間へと成長している。