孤独死は現役世代にとっても無縁ではない(写真:Tzido/iStock)

壁1枚隔てた隣の部屋で、床をうじがはい回る孤独死が起こったり、緩やかな自殺と呼ばれるセルフネグレクト(自己放任)に陥り、かろうじて命をつないでいる隣人がいたりする。年間孤独死者3万人、孤立状態1000万人、それが私たちの生きている社会の現実だ。

じめじめした梅雨は、孤独死が多く発生する。湿度は温度以上に、体を弱らせる強敵となる。今この瞬間も特殊清掃業者は、休みなく働いている。とくに「今年は例年以上に孤独死の件数が多い」との声が、業者たちから続々と寄せられている。

そのほとんどが、現役世代の孤独死だ。私は『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』の執筆にあたり、孤独死を追い続けているが、その数は減ることはなく、ますます増えていると感じる一方だ。

亡くなられた方への思い

「セルフネグレクトに陥ってから、心臓が止まるまでの時間は、そう長くはないんです。現役世代が抱えやすいストレスの多い社会は生きながら毎日を死に追いやってしまう。僕は、亡くなった人の部屋を片付ける以上、どんな人で、何が原因で孤独死したかを知っておきたいんです。僕が今、生きている人たちにメッセージとして伝えたいから」

この日も、(一社)日本遺品整理協会の理事、上東丙唆祥(じょうとう ひさよし)さんは、孤独死現場に足を踏み入れようとしていた。

6畳ほどのワンルーム。この部屋で亡くなったのは50代後半の山田聡さん(仮名)で、死後1カ月以上が経過していた。発見したのは管理人で死因は衰弱死、もしくは突然死だと上東さんは推測する。

玄関には、杖が1本ポツンと掛けられていて、ドアを開けるとユニットバスは、黄色い尿入りのペットボトルで埋め尽くされていた。ツンとした臭いが鼻につく。

空っぽのシャンプーやリンスが放置され、小さなキッチンには電気コンロがあり、冷蔵庫はワンドアタイプで中は空っぽだった。

ベッドはなく、読まれていない新聞で部屋中が埋め尽くされている。36インチのテレビは、段ボールで支えられている。簡易式の洋服掛けには、警備会社の制服や制帽が掛けられていた。仕事は警備員だったらしい。

入り口近くに、体液が広がり、凄まじい異臭を放つ。山田さんは、ゴミに埋もれた形で死を迎えたのは明らかだった。

上東さんら特殊清掃人は、体液のたっぷりとしみ込んだ紙ゴミをビニール袋に詰めていく。その下には、大量のうじがうごめいていた。

地方に住む両親からは、手紙や野菜、米などが定期的に送られてきていたが、そのままの状態で放置されていた。食生活はほとんど外食で、炊飯器は何年も使用した形跡はなかった。

「スーツと革靴の数の多さを見ると警備が主な仕事で、激務だったんだろう。性格は、神経質か几帳面で、人とのコミュニケーションは不器用か苦手なタイプ。責任感が強く、関わる人たちに迷惑は絶対にかけたくないという思いがあったんだと思う」

ゴミに寄りかかりながらひっそりと

新聞は、ほとんど読まれた形跡はない。きっと心優しい性格で、営業を断り切れずに取り始めたのだろう。その新聞は激務に追われてゴミ出しすることもなく、次第に命を脅かすほどの体積に膨れ上がっていく。

布団は万年床で、ぺしゃんこになっていたが、なぜか二つ折りで畳まれたまま、何年も使用していないようだった。その理由がわからずにいると、上東さんが教えてくれた。

「彼は、右か、左半身が病気になっていたんだと思うよ。だからゴミに寄りかかりながら寝ていたんだと思う。ほら、入り口に杖があったでしょ」

確かに半身を悪くしていれば、床に敷いた布団に寝て立ち上がることは困難だ。だから、山田さんはどんなに寝心地が悪くても傾斜のある紙ゴミの山に体を横たえて寝るしかなかったのだ。上東さんは、掃除機や雑巾、ホウキなどの掃除用具がまったくないことを指摘する。

長年、警備員として働いていた山田さんの身に異変が起こったのは、ここ数年のことだろう。山田さんは、右足を負傷してから、杖を使うようになる。杖なくしては立てなくなり、仕事も辞めて、徐々に家にひきこもるようになっていく。足は日に日に悪くなり、自分の身体を呪う生活が続いたに違いない。そして、セルフネグレクトになっていく。

半身が悪化する前後に、トイレに行くのもつらくなり、きっとペットボトルに小便をためて、用を足すようになっていった。大便は近くのコンビニで済ませ、そのときに飲み物や食べ物を買うという生活を送っていたと上東さんは推測する。

傘は持てないため、雨の日はカッパで外出。次第に生きる気力はなくなり、無気力になっていく。私は山田さんのそんな生活を想像して苦しい気持ちになった。

今の窮地を相談する相手は、いない。警備会社は流動的で人の出入りも激しいため、友人もいなかったのだろう。地方に住む両親にも心配をかけられなかったのか。心身は衰弱し、食べる気力もなくなって自暴自棄になっていく。

遺品を丁寧に片付けながら、上東さんは、そんな故人の逡巡する思いをゆっくりとたどっていく。

尿の入ったペットボトルは、男性の孤独死の部屋ではよく見つかる。大抵、焼酎のペットボトルを尿瓶(しびん)代わりにして、尿をため込む。しかし山田さんの部屋からは、500ミリのペットボトルしか、見当たらなかった。

時たまもよおす尿をゴミに寄りかかりながら小さなペットボトルに移すという日々が続いていたはずだと上東さんは指摘する。そうかと、思うと、私も胸が締めつけられた。2リットルの水を買って自宅に運ぶことすらできないほど、体力が衰えていたのだ。

桜の咲く公園が近い自宅から、花見客で賑わう笑い声を聞きながら、山田さんは何を思っただろうか。

山田さんの部屋は薄暗く、寒さもこたえたはず。電気代はわずかだったため、暖房もつけずに、毎日をしのいでいた。冬は凍えるような寒さが、じわじわと山田さんの体力を無残にも奪っていく。

そして最期、山田さんは極度に衰弱し、ひっそりとゴミの中で息絶えてしまった。

山田さん、そして、何も知らず残された両親のことを思うと胸がキリキリと痛む。

「ご遺族は息子さんの死を引きずり続けると思うんです。『なぜ一言話してくれなかったんだ』と。山田さんが最期を迎える前に、両親に何らかのメッセージを残し、それを読んでいることを願いますね。それさえできないほど彼が社会から追い込まれていたなら、この世の中や社会が腐っているのかもしれないね」

上東さんは物憂げな表情で、そう言った。孤独死の現場から見えるのは、社会から一度孤立すると、誰にも助けを求められずに崩れ落ち、命を落としてしまう現役世代たちの最期の姿だ。

現役世代に救いの手を

内閣府は、最新となる2019年度版の『高齢社会白書』を6月18日に閣議決定した。

この中にわずかだが、孤独死についてのデータがある。

東京23区内における一人暮らしで65歳以上の人の自宅での死亡者数は、平成29(2017)年に3333人。この数が、前年度の3179人を上回り、過去最多を記録したのだ。この白書からは、つまり高齢者に限っても、統計上、孤独死が増え続けていることが明らかになる。現に同白書によると、平成15(2003)年の1451件からほぼ右肩上がりで上昇を続け、現在は約2倍以上に増加している。


また、同白書では、孤立死(誰にも看取られることなく亡くなった後に発見される死)を身近な問題だと感じる一人暮らし世帯では50.8%と5割を超えている。

もはや、孤独死は誰にとっても他人事ではない。

長年現場を取材している立場からすると、高齢者は一律に発見、日数も早いという特徴がある。それに比べて、明らかに現役世代は長期間発見されず、悲惨な状態で見つかるケースが多いのだ。

孤独死は高齢者だけの問題ではない。政府が現役世代まで引き延ばして統計を取れば、きっと恐るべき数字がたたき出されるはずである。国が現役世代の孤独死の統計を取り、その実態が公にされることで、山田さんのような死を迎える人が少しでも減るような社会を望んでやまない。