提供:週刊実話

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 俺はプロレス界で「黒のカリスマ」なんて呼ばれて、業界内でトップに立った、と思ってた。でも、いま思えばトップといっても、業界の枠の中しか見えてなかった。業界どころか、他のプロレス団体のことすら意識してなかったよ。一般的な会社員もそうだろ? みんな会社内で争ってて、隣のビルにある会社の出世争いなんか、誰も気にしてないよな(笑)。トップを取ったつもりでも、会社を辞めて外に出されたときに初めて「あれ? 俺は何もないな」って気付くんだよ。

 俺も最初はそうだった。自由になったんだから、いままでやってきたことから離れようとする部分はある。でも、離れたところに行けば行くほど、俺自身の価値がどんどんなくなっていくような感覚になるんだ。

 そんなときに社会貢献活動に出会った。俺はいまAEDや地域防災の普及啓発活動、熱中症予防PR大使、二輪事故防止啓発など、様々な啓発活動に関わっている。社会貢献の世界は、いろんな経歴や業種の方々がいて、それぞれのコミュニティーの中で活躍してるんだと改めて気づかされた。

 横断歩道に立って、交通安全の旗振ってる学童擁護員のオジサンがいるだろ? 彼らのことなんて、最初は仕事がなくなってあんなことするしかない可哀想なジジイだなって思ってたけど(笑)、あの人たちも社会に役立つように、ボランティア意識の中で身を削ってやってくれてるんだよ。

 それまでの俺は、そんなことまったく目に入ってなかった。社会の中でいろいろやってきたけど、そこから離れたときに、地域の中で生きるということがようやく理解できた。だから、ホントの社会人になるのって50歳すぎてからじゃないかなって思うよ。そこからやれることもいっぱいある。だから俺は、最初はボランティア活動が始まりだけど、いまは一般社団法人を立ち上げて社会貢献の啓発活動を行っている。

 特にスポーツ選手は引退して現場からフェードアウトすると、そこで行き場を見失うことが多い。それまでと違うジャンルの場所に身を置いたときに、自分のキャリアやプライドをすべて捨てなきゃいけないから、それが難しい。

 プロレスラーだって、現役の時はいいよ。トップでやってなくても、試合があればスポットライトを浴びれるし、ファンは見てくれる。でも、そこからドロップアウトしたら、誰も注目してくれない。

 もともとレスラーなんて、人前に出て自分をアピールしたいっていう気持ちがあるヤツが集まってる世界だから、そこの挫折はデカいんだよ。だからこそ、引退したら舞台を選ばずというか、違う仕事でも、社会貢献という立場でも、どんどん前に出て行って欲しいよ。

 俺は“蝶野正洋”として社会貢献に携わったり、啓発イベントに出ることで、防災や防犯に関する様々な活動を知ってもらえればいいと思ってる。要するに“客寄せパンダ”になるってことだよ。そのためには、俺自身がそれなりのネームバリューをキープしてなきゃいけない。俺のことを誰も知らなかったら、パンダにもなれないからな(笑)。

 今はそれが励みになってるし、いろんな仕事を頑張らなきゃいけないなっていうモチベーションにつながってるよ。

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蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。