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モスクワ五輪ボイコットの真相(86)

【PJ 2006年01月25日】− <激動五カ月間のドキュメント>
13.選手団編成委員会が編成案を練り直す
<最後の最後まで自費参加の道を模索するJOC>

 1979年3月中旬、ソビエト連邦閣僚会議付属体育・スポーツ委員会副議長のビクトル・イボニン一行が、日ソスポーツ交流協定調印のために来日した。そのときに河野は一行を東京会館に招き、夕食をともにした。実はこのとき、国際課長の私も職務上同席している。一行の通訳はモスクワ関係大学日本語教授ネベロフ博士。相当の日本通で、日本人と同じような日本語をあやつる達人である。

 夕食会はなごやかな雰囲気のうちに進行したが、イボニンは「河野さんはわが国(ソビエト)に来られたことがありますか」と質問した。これに対して河野は「数年前に、参議院議長としてあなたの国を訪問しました」と答えたあと、通訳のネベロフ博士に「君も日本語はうまいが、私が行った時の通訳はもっとうまかった」と語り、同席した人たちをハラハラさせた。

 ネベロフは河野の話をイボニンに通訳したあと、すかさず「河野さん、ありがとうございます。それは“出藍の誉”ですよ。河野さんについた通訳は、実は私の教え子なのです」と語ると河野は急に操行をくずし「そうか、出藍の誉か。それは参った、参った。君はたいしたものだ」と急に態度を変えたのだった。河野は話術に長けた政治家でもあった。

 これも余談になるが、その翌日、私はイボニン一行を案内してYS11で鳥取県へ飛び、皆生温泉に1泊した。その際の日本間での夕食会で、ネベロフ博士が屏風に書かれた草書体の文字をスラスラ読むのには再度驚いてしまった。

 ここでまた、話を戻すことにする。5月23日夜の銀座・千疋屋会談において、日本アマチュア・スポーツ界の最高責任者である河野の意向は「不参加」であることが明らかになった。体協理事を口説くことは問題ないにしても、あとは残りのJOC委員をどうやって納得させるかに問題がしぼられた。明日の臨時JOC総会まで20時間を切っていたが、体協専務理事の飯沢は、腹心の関係者何人かを使って、体協理事はもちろんのこと、不参加に同調してくれそうなJOC委員に電話をかけはじめた。

 そして夜半までに、不参加派が参加派を上回ることが確認された──【つづく】

■関連ブログ
伊藤公(いとう・いさお)の『モスクワ五輪ボイコットの真相』

■関連書籍
小田光康著、「スポーツジャーナリスト」という仕事
※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 伊藤 公【 東京都 】
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