SUBARU(スバル)がアメリカで販売記録を更新しつづけている。2018年の新車販売台数は68万135台で、過去最高記録を更新するのはこれで10年連続だ。その背景には何があるのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉氏が、創業100年を迎える同社のルーツを追う。第1回はアメリカの販売現場の声を紹介しよう――。
スバルの主力車のひとつ、アウトバック(日本仕様)(写真=SUBARU提供)

■主戦場のアメリカで起きた変化

2018年、スバルにとっての主戦場、アメリカのディーラーを訪ねた時、出た話題は一連のスバルの騒動でもなければ、ガソリンからEVへのシフトでもなく、自動運転のことでもなかった。

「客が変わった」という話だった。

訪ねたのはフィラデルフィアの「ミラー・スバル」。社長はメリッサ・ミラー。メリッサは、スバル車だけを売っているわけではない。フォードの車を扱う販売店を隣接して持っている。

メリッサは「このところ、スバルの新車は年に1000台は売っています」と語った。

「父親の代から、ディーラーをやっていますけれど、乗り替えをするお客さん、つまり、他社の車からスバルに変える人の比率が増えています。従来スバルを買っていた人よりも、今は乗り替え客の方が圧倒的に多い」

わたしは「それはなぜですか?」と訊ねた。

「2つの理由です。ひとつは『コンシューマー・リポート』という消費者団体が出している雑誌の車特集で常にスバルが高評価されていることです。それを見て、足を運んでくる方がいます」

「もうひとつは、スバルの車が細かいところで改良されてきていること。例えば、後ろのトランクを自動で開け閉めしてくれるパワーリヤゲートというボタンがやっと付きました。リヤゲートを引き上げる時、背が低い人は最後までゲートを上げることができなかった。ボタンが付いたおかげで、誰もが簡単にリヤゲートを上げることができるようになった。これまでスバルはそこまで目配りをしていませんでした」

■アウトドア向きの頑丈なスバル車に乗り替え

「安全の視点からのお客さんの評価はありますか?」。そう聞いてみたら、「交通事故にあったけれど、スバルに乗っていたおかげで車体がつぶれなくて済んだという人がいましたね」と彼女はすまして答えた。

アメリカではEyeSight(アイサイト=路上の対象を検知して車を止めるシステム)の効果よりも、四輪駆動、走行安定性の方がドライバーに評価されている。なんといっても、アメリカの消費者は日本よりも車に乗る時間、距離が長い。運転していて安心な車を求める気持ちが強いのだろう。

最後に訊ねたのは「では、お客さんはどう変わったのですか?」である。メリッサは言った。

「スバルの車に限らず、流行に左右されたり、他人が持っている車をうらやましいと思う人はいなくなりました。自分が大切にしている価値を備えている車を買う人がほとんどです。アウトドアに向いているし、雪道を走ることであればスバルはナンバーワンです。だから、スバルを買う。今の人は他人に見せびらかす車ではなく、自分のための車を買います」

■アイサイト誕生で「スバルに来なかった客」まで増えた

米ニュージャージー州にあるスバルディーラー(写真=SUBARU提供)

「客が変わった」という話は、日本でも聞こえてくる。

「アイサイト」が2008年に装備されるようになり、「ぶつからないクルマ」というイメージができてから、スバルの客層は明らかに変わってきた。ちょうどその頃、販売店に出向していた元社員で現在は広告関係の会社にいる人間はこんな体験をしている。

「スバルの本社に入って販売店に3年間、出向していました。それまでスバルのディーラーに来る人って、『なんとなく』という人はいなかったのです。それぞれの理由があって、スバルを買いに来ていました。『父親が乗っていた。スキーやキャンプが好き、走りが好き、四輪駆動の車が欲しい』。まったくの新しい顧客はほとんどいなかった。昔からスバルに乗っていた人が何度も買い替えるケースがほとんどだったのです」

つまり、買い替え需要だけに頼っていたのである。そして、買い替え需要しかなかったのはスバルのセールスマンにとっては決して悪いことではなかった。トヨタの販売店ならば買わなくてもやってくる人はいる。しかし、スバル販売店に来る人はイコール、スバルを買う人だった。

「そうです。販売店の売り上げもだいたい予想できました。僕らは店に来てくれる客を自銘(柄)の客とか自銘代替えの客と呼んでいました。対して、他社に乗っていた客が買い替えてくれた場合は他銘(柄)の客と呼んでいました。でも、はっきり言うとスバルの場合、他銘の客って、ほとんどいなかったんですよ。

ところがアイサイトが出てから、他銘の客が増えてきました。例えば前はドイツ車に乗っていて、アウディやフォルクスワーゲンからスバルに変える客が出てきたんです。そして、来店するのが多くなったのがママたち。小さな子どものいるママたちが『アイサイトの車を見たい』と販売店にやってくるようになりました」

クルマ好きの車から、子どもを守ってくれる車へ

スバル360の発売以来、同社の客は「クルマの走りが好きな人たち」だった。水平対向エンジン独特の音、地面にびたっと吸い付いて走る安定感、雪道でもすべりもせずに前進していく心地よさ……。走行性能、操作性に感性が合う人たちが客だった。

ところが、アイサイトが装備されて以降、チャイルドシートに乗せた子どものためにスバルを買う層が出現した。

赤ん坊のいる夫婦がいる。ダンナは「ドイツ車が欲しい」と言う。しかし、妻はきっぱり、首を振って告げる。

「あなた、子どものことを考えて」

赤ん坊や小さな子どもがいる家庭の場合、車を買う決定権を持っているのはダンナではない。妻と子どもだ。はっきり言えば妻だ。妻たちは車のデザインは気にするけれど、スピードや環境対応はあまり気にならない。それよりも、子どもにとって安全な車を選ぶ。彼女たちが必要とするのはぶつからない車であり、ぶつかっても、乗員を守ってくれる車だ。

こういうところから考えてみると、ママたちはパワートレインがエンジンなのかEVなのかといった点はどうでもいいと思っているのではないか。

運転しなくてもいいこと。ハンドルでなくスマホで操作できる車であること。いつもネットワークとつながるコネクティッドカーであること……。さまざまな便利さがユーザーをひきつけていくと思われる。

■徹底した安全思想が、世紀を超えて評価され始めた

ただ、どんな場合でも大前提はある。それが安全だ。自動運転になっても、コネクティッドカーであっても、安全でなければ誰も乗らない。

安全も事故に対してだけではない。故障に対しても安心安全でなくてはならない。ガソリンならばどこでも買えるけれど、EVのパワーである電気を充電する場所は少ない。山の上へ出かけていって、電池の残量が乏しくなったら、もうお手上げなのである。燃料電池車だって同様だ。山の上に水素スタンドがなければお手上げだ。

また、自動運転車だって機械だから、必ず不具合が起こる。車が止まってしまったら、安全であること、外部と通信できることが、車のスピードよりも何よりもはるかに重要だろう。

幸せなことに、スバルは飛行機をつくっていた時代から、安全をクルマの特質として考えてきた。アイサイトの性能が評価されたというよりも、アンドレ・マリー技師が中島飛行機にやってきた1927年以降、考えに考えてきた乗員を守る「安全思想」が、時代が変わったことで、大きな評価の対象になったということだろう。

■軍艦より航空機を重視したスバルのルーツ

1980年代、日本における会社の寿命は30年とされていた。30年以上たった現在ではよくて10年もてばいいらしい。アメリカでは、はっきりと「寿命は5年だ」と言われている。それくらい新陳代謝が激しいのに、スバルは100年も続いている。

ただ、会社がやっていることは変わってきた。最初のうちは飛行機会社で、その後、スクーターや電車の車両、バスをつくり、軽自動車を始め、1966年のスバル1000から大衆車をつくる会社になった。そして、2000年代には北米マーケットに特化した自動車会社になっている。スバルの100年は有為転変というか変化の100年だった。

「貧乏国日本が列強並みに建艦競争をつづけるのは、国費のムダづかい。そんなことをしていてはやがて行き詰る。能率的軍備に発想を切り替え、二艦隊(軍艦八隻)をつくる費用で、八万機の航空機をつくるべし。」

中島飛行機の創始者・中島知久平は、日本が生き残るためには発想を変えようと言った。巨艦よりも航空機をつくるべきだと主張した。しかし、日本は巨艦をつくり、そして、戦争に負けた。

スバルは儲かっている会社だといわれている。しかし、事実はアメリカでの売り上げが多いから、儲かっているように見える。そして、もっと事実を見ていくと、アメリカでも存在感があるのは雪が降る地区と北部の大都市だ。知名度もトヨタ、ホンダにはかなわない。プレミアムなイメージはあるけれど、しかし、今後のユーザーはもはやイメージでは車は買わない。

野地秩嘉『スバル ヒコーキ野郎が創ったクルマ』(プレジデント社)

スバルはまだ開発途上であり、会社としての目的を探している。安全を特徴とし、アメリカマーケットでやや売れているというのが同社の等身大の姿だ。自尊心にもたれかかっている場合ではない。

スバルはまだ何かを探している。早く見つけなくてはならないけれど、まだ探している段階だ。

その意味でも、改めてこの約100年を振り返ることは、スバルという会社自身にとっても重要であるように思えてくる。そこで、次回は時代を遡り、中島飛行機時代の話から記述していく。

※この連載は2019年12月に『スバル ヒコーキ野郎が創ったクルマ』(プレジデント社)として2019年12月18日に刊行予定です。

(ノンフィクション作家 野地 秩嘉 写真=SUBARU提供)