福岡と佐賀を結ぶ筑肥線。福岡側の始発駅は西外れにあり、福岡市の中心部へは地下鉄に乗り入れています。最初は博多駅に直接乗り入れていましたが、ある施設の多さが原因で廃止に。いまも残る鉄路の名残をたどってみました。

地図では鉄路が途切れているが…

 JR九州の筑肥線は、福岡市から玄界灘に沿って西に進み、佐賀県の唐津方面へ延びています。ところが、福岡市内の始発駅は西外れの姪浜駅(福岡市西区)。同じJR線の駅で新幹線も乗り入れている九州最大のターミナル、博多駅には乗り入れていません。


筑肥線を走る電車。福岡市営地下鉄空港線に直通して博多駅に乗り入れている(2015年10月、草町義和撮影)。

 実際は筑肥線と福岡市営地下鉄空港線の列車が相互に乗り入れていて、地下鉄の博多駅から筑肥線方面に直通する列車が運転されていますが、地図によっては博多〜姪浜間の地下鉄が描かれておらず、鉄道のネットワークが途切れているかのように見えます。

 筑肥線はかつて、博多駅に乗り入れていました。しかし、福岡市内を横断する博多〜姪浜間は、現在の福岡市営地下鉄空港線の開業にあわせて廃止されたため、JR線のネットワークが途切れた状態になっているのです。

 2019年5月18日(土)、廃止された区間の跡地をたどってみました。博多駅の西側広場(博多口)から、JRの鹿児島本線や九州新幹線の線路沿いにある道路を南下。1.2kmほど歩いたところで、筑肥線の跡地を再整備した遊歩道(美野島緑道)が現れました。

 その幅は単線の鉄道くらいしかなく、緩やかなカーブを描きながら公園の脇を進んでいきます。遊歩道の終点付近が筑前簑島駅の跡地。プラットホームを模したオブジェと、駅名標のレプリカが設置されていました。


博多〜筑前簑島間の跡地に整備された遊歩道。

筑前箕島駅の跡地にはプロットホームを模したオブジェなどがある。

那珂川筑肥橋は蒸気機関車を模したデザイン。

 遊歩道が途切れた先は、「筑肥新道」という2車線の道路に生まれ変わっています。目の前に現れた橋の名も「那珂川筑肥橋」を名乗っており、ここが筑肥線の廃止区間であることを示しています。よく見ると、欄干の親柱は煙突のように見える丸い筒が飛び出ており、蒸気機関車を模したデザインになっていました。

利用者数は「幹線」クラス

 民家やマンションに囲まれた筑肥新道をひたすら西へ。場所によっては自動車の渋滞も見られました。小笹駅の跡地を過ぎ、博多駅から5.5kmほど進んだ地点で筑肥線の跡地は筑肥新道から離れ、再び木々に覆われた遊歩道(梅光園緑道)になりました。週末ということもあってか遊歩道を散歩している沿道住民が多く、市民の憩いの場として活用されている様子がうかがえました。


小笹〜鳥飼間の跡地に整備された遊歩道(2019年5月、草町義和撮影)。

 遊歩道は1km弱で終了。その先にあった鳥飼駅の跡地は城南区役所に生まれ変わりました。筑肥線の跡地は再び2車線の道路になって、姪浜駅へと進んでいきます。どこまで行っても民家やマンションが立ち並んでいて、鉄道が廃止になるような過疎地には見えません。

 筑肥線は1923(大正12)年、福吉駅(現在の福岡県糸島市)と浜崎駅(現在の佐賀県唐津市)を結ぶ区間が開業。その後は両側が徐々に延伸され、博多駅から現在の唐津市内を通って伊万里駅(現在の佐賀県伊万里市)までの区間が、1935(昭和10)年までに開業しました。

 筑肥線は開業以来、上り列車と下り列車が1本の線路を共同で使う単線でしたが、福岡市の中心部に乗り入れる路線だったことから利用者は多く、1日1km平均の利用者数(輸送密度)は1970年代末期で8000人台でした。福岡市内の博多〜姪浜間に限れば、輸送密度はもっと大きかったと思われます。

 このころの国鉄は輸送密度が8000人以上の路線を、利用者が多い「幹線」とみなしていました。また、福岡市の人口は1950(昭和35)年が約48万人だったのに対し、1975(昭和50)年には100万人を突破。筑肥線の利用者も増えていました。ローカル線のような廃止問題が浮上する状況ではなかったはずです。

筑肥線に引導を渡した43か所の「交差」

 しかし、沿線の発展が、筑肥線 博多〜姪浜間の存続を逆に難しくしました。この区間は「名だたる渋滞個所をふくめて43か所もの踏切があり福岡市の都市計画に関連して廃止せざるをえなかった」(『鉄道ジャーナル』1985年3月号)といいます。


筑肥線跡地を再整備した筑肥新道の周囲は民家やマンションが立ち並ぶ(2019年5月、草町義和撮影)。

 筑肥線の博多〜姪浜間は地面に線路が敷かれていて、高架橋や地下トンネルの部分はひとつもありませんでした。そのため、道路との交差はほとんど踏切になっていて、人口の増加により道路の交通量も増えると、踏切付近の渋滞が激しくなったのです。

 一方、福岡市は1975(昭和50)年、博多駅から繁華街の天神など市内の北側を通って、筑肥線の姪浜駅に接続する地下鉄(現在の福岡市営地下鉄空港線の一部)の工事を開始。市内南西部を通る筑肥線の博多〜姪浜間とは途中のルートが異なるものの、地下鉄が完成すれば、博多〜姪浜間に「踏切のない鉄道」が出現することになります。国鉄と福岡市は1977(昭和52)年、筑肥線 博多〜姪浜間の廃止に関する覚書に調印。建設中の地下鉄を事実上、筑肥線 博多〜姪浜間の踏切解消策としたのです。

 こうして1981(昭和56)年から1983(昭和58)年にかけ、博多〜姪浜間の地下鉄が開業。筑肥線は姪浜以西が電化されて地下鉄との相互直通運転が始まり、博多〜姪浜間が廃止されました。廃止に反対する沿線住民の声もありましたが、その対策として代替バス(3ルート)が運行を開始。将来的には線路の跡地を道路の整備に活用することも沿線住民に提示されました。こうして筑肥新道などが整備されたのです。


筑肥線に代わって博多〜姪浜間を結ぶ福岡市営地下鉄空港線。

福岡の中心部と南西部は福岡市営地下鉄七隈線で結ばれている。

七隈線の別府駅。筑肥線廃止区間の鳥飼駅跡(城南区役所)に近い。

 2005(平成17)年には、天神エリアの天神南駅と市内南西部の橋本駅を結ぶ、福岡市営地下鉄七隈線が開業。途中の別府駅(福岡市城南区)は、筑肥線の廃止区間内にあった鳥飼駅のすぐ近くに整備され、これも事実上の代替交通機関といえるでしょう。いまのところ別府駅から博多駅へ直接行くことはできませんが、2022年度に延伸区間の天神南〜博多間が開業する予定です。

※一部修正しました(6月2日16時07分)。