韓国人カメラマン、ヤン・スンウー。平成8年に来日した際、韓国とは違い、どこか整然とした雰囲気の日本に窮屈さを感じていたという。そんな時、無秩序な歌舞伎町に虜になった。以来、"人間の匂い"を求め、歌舞伎町を20年以上にわたって撮り続けてきた。

 街のどこにでもいたヤクザ、新聞や雑誌を拾い集めて売る男性。ホームレスも外国人とも意気投合した。歌舞伎町はヤンにとって被写体の宝庫であり、ありのままの自分でいることのできる場所だった。


 しかし今は、一晩中歩いてもシャッターを切れない日もある。「今日はあんまり絡みたくなる人がいないなぁ。土曜日なのに、だーれもいない」。

 20年ほど前までは、待ち合わせといえば"コマ劇前"。気ままに寝ている人、1分千円でストレスを解消させてくれる「殴られ屋」、そして商売の母親の帰りを待つ子ども。文字通りの「自由」があった。

 そんな旧コマ劇前広場も、今では夜になっても人はまばら。外国人観光客や親子連れの姿も目立つ。猥雑な歌舞伎町は、いつの間にかクリーンで、クールな街に変わってしまった。
 

■働いて60年…「ネオン街にとっては衰退の時代」


 歌舞伎町に残る面影を探し続けるヤン。「ウチのオーナー、知ってる?訪ねてやって下さいよ。人を見るから、カメラはね(笑)」。そう薦められて訪ねたのが、キャバレーを経営する吉田康博さん。60年以上も歌舞伎町で働き続けてきたという。「歌舞伎町では私が一番古いよ。私より先輩はいないし、10年後の後輩はいるけど、その間はいない」。

 吉田さんが指差した壁には、昔の新聞の切り抜きが掲げてあった。「仁義なき戦い。賑やかな、激動の時代ね。修羅の道を歩まないと生き残れないというね」。チップを100万円単位でもらっていた時代もあったという。

 「平成とは?」。そんな質問に吉田さんは「ネオン街にとっては衰退の時代。本当言うと、歌舞伎町は優しさがいっぱいなんですよ。町に居れなくなって、飯を食えなくなった人が、みんな歌舞伎町を目指すんですよ。そしたら歌舞伎町では飯が食えるわけですよ、どんな人でも。一生懸命に仕事する人もいるし、危険度の高い生き方をする人もいるし」と答えた。


 それでも、歌舞伎町に吸い寄せられる若者たちはいる。道端で偶然出会ったのは、ホストの伊吹リイヤさん。人々の変化に戸惑いつつも、頂点を目指し続けている。「ハタチの時に来て、もう32やから。めちゃくちゃ変わったかもしれん。酒を飲まへんとか。それでも500万とか1000万とかいく奴もおるし」。
 

■元ヤクザの組長「自分の故郷みたいなものだから」


 ヤンが歌舞伎町で度々立ち寄る居酒屋。小指が無いことや、刑務所に服役していたことを客と冗談交じりに話す店主の古庄正裕さんは、元ヤクザだ。

 三池炭鉱の貧しい家庭に育ち、中学卒業前に夜汽車で上京、ヤクザの世界に入った。組長にまで上り詰めたが、12年前に引退した。「昔の新宿は楽しかったなぁ。いつも10人ぐらい引き連れてね、喧嘩吹っかけてね、今思うと若かったね。そういう時代だったからね。俺がやったカジノが新宿では初めてだったから。六本木に見に行って、それを新宿に持ってきて」。

 現役時代、違法カジノや野球賭博で何億円も荒稼ぎしたという古庄さんだったが、平成16年に始まった「歌舞伎町浄化作戦」により、街には次々と防犯カメラが設置され、おおっぴらに稼ぐことは難しくなっていった。「思い残すことはいっぱいあるよ。もう一山、ちっちゃい山じゃなくて、こんなデカイ山をあてたいよね。でもこれからは、あんたの時代じゃないか!」と笑顔でヤンさんに発破をかける。


 今も歌舞伎町で暮らす古庄さん。「歌舞伎町は自分の故郷みたいなものだから、これからもがんばらないといけない。何も弱々しく生きていく必要はないよ」。そんな生きざまを、ヤンはこれからも撮り続ける。
 

■詩を書くホームレス「平成は家がなかったです!」


 東京オリンピックに向け再開発が進む歌舞伎町。ホームレスもまた、クリーンになった街から姿を消した。平成16年には新宿に1000人以上が暮らしていたが、平成の終わりには100人を下回るまでに激減した。

 中でもヤンが親しくしていたのが、通称・ゴン太だ。ホームレスだった時から詩を書いている。「何か書いて僕に渡してくれたんですよね、読んでみたら、面白いな〜と思って。そこから撮るようになった」。


 「ホームレスお金がなくて物食えず 生活保護と透析でお金があっても物食えず」
 「ユメを見て 朝、目がさめるとユメわすれ 夢をなくしたホームレス」
 「いそがない あわてない どうせ僕は ヒマだから」
 「すぎさる日々 かなわない夢 一人きりの毎日」


 茨城で生まれ育ったゴン太は、中学卒業後に溶接工として働き始めるも、母親がパチンコ依存症になって家庭は崩壊。平成2年、20歳で家を飛び出し、25年間、歌舞伎町の路上で生活した。しかし身体を壊してからは、生活保護を受けながら川崎で暮らしている。

 「撮り始めたから死ぬまで撮りたい」と話すヤンに、ゴン太は「撮るカメラマンが先に死ぬか、撮られる自分が先に死ぬか。どっちか。それだけだ」と切り返す。
 

■「じゃあ、サヨナラって感じ。サヨナラって感じ」


 平成の終わり、久しぶりに思い出の歌舞伎町へ行ってみないかとゴン太を誘ったヤン。

 「思い出があんのは、あそこの回転寿司屋。夜になったら(残り物を)ゴミで捨てるから。普通に食ったら醤油がないから、美味かないよな」。杖を突き、息を切らしながら歌舞伎町を進むゴン太。その様子を気にしながら歩くヤン。


 2人が出会った旧コマ劇前。「ポテトいっぱいもらったよな」「もらった。吉野家の前に、マックがあって。掃除をすると、余り物をほとんどくれた。ポテトが多かったけど。閉店ギリギリになったらば、わざと店長が余るように作ってくれた時もあった。クリスマスの時はケンタッキーも多かった。鶏肉が」。

 時に触れる、人の優しさ。仲間と分け合う、心の寂しさ。ゴン太は歌舞伎町が大好きだった。重度の糖尿病で、今は歩くのもままならない。歌舞伎町を訪れるのは、これが最後かもしれない。


 「もしさ、身体が元気だったら、また歌舞伎町に来る?」
 「たぶん来ない」
 「面白くないもんね」
 「そういうことだね」
 「来てもね、友達いないし。なんでこうなっちゃった?」
 「何でこうなったのか、分かんない」
 「帰る?」
 「大丈夫。もうちょっと居たい」

 ゴン太を受け入れた歌舞伎町は、もう無い。

 「また時代が変わっても遊びに来ようよ」
 「分かった」
 「気を付けてね
 「じゃあ、サヨナラって感じ。サヨナラって感じ」
 「じゃあなゴン太」
 

■「俺は歌舞伎町を撮り続けますよ」


 「今を生きよう 今が大好き 今にすべてをかけてもいい 今を生きよう 今が大好き」
 「そんなもんだよ さむい時きゃねれず あつい時きゃねれず ちょうどいい時 ねむくない」
 「夏は暑くて 冬は寒くて それなりに 俺なりに」

 ゴン太の書いた詩だ。


 「未来と現在と過去は、まだ少し残ってるから。それを俺は掘り下げたい。また令和が終わったら取材に来てください(笑)。俺はそれまで、歌舞伎町を撮り続けますよ」。ヤンはカメラを手に、歌舞伎町の街を歩く。(テレビ朝日/『テレメンタリー 平成サヨナラ歌舞伎町』より)
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