「マラドーナ降臨」「日本初の決勝」「アフリカ旋風」…U−20W杯をプレーバック

写真拡大

 5月23日にポーランドで開幕するFIFA U−20ワールドカップ。「20歳以下の世界選手権」として1977年に誕生した同大会は2年に一度のペースで開催され、今回で22回目を迎える。

 FIFA(国際サッカー連盟)が手掛けた最初の「年代別ワールドカップ」であり、1974年にFIFA会長に就任したジョアン・アベランジェ氏(ブラジル出身)の「サッカーを(欧州と南米だけではなく)世界のものとする」という公約に基づいて開催が実現した。

 1930年に始まったFIFAワールドカップほどではないが、すでに40年以上の歴史を誇り、これまでに数々のドラマや名場面が生まれてきた。今回は5大会に厳選して、U−20ワールドカップの“これまで”を振り返る。

■1979年日本大会 “スーパー”マラドーナ降臨

優勝:U−20アルゼンチン代表

 1977年に行われた第1回のチュニジア大会から2年後、第2回大会の開催国となったのが日本だった。初出場を果たした日本は松本育夫監督の下、“世界での1勝”を狙ったが0勝2分1敗でグループステージ敗退。それでも大会の熱が冷めることがなかったのは、アルゼンチンのレジェンドとして知られるディエゴ・マラドーナが初めて来日を果たし、圧巻のパフォーマンスを披露したからだ。

 当時18歳だったマラドーナは、アルゼンチンの10番としてピッチ上で躍動。ソ連との決勝戦では、直接FK弾を決めて母国を初優勝に導くと、大会MVPにも選ばれた。なお得点王を獲得したのは、1993年に横浜マリノスで“Jリーグ初代得点王”に輝いたラモン・ディアス。多士済々のタレントが揃ったアルゼンチンは圧倒的な攻撃力で大会を制し、旧国立競技場に集まった5万2000人の観衆を魅了した。

■1999年ナイジェリア大会 日本サッカー界初の“決勝進出”

優勝:U−20スペイン代表

 日本の男子サッカーが最も“世界一”に近づいた大会として知られるのが、1999年のナイジェリア大会だ。A代表との兼任となったフィリップ・トルシエ監督の下には、小野伸二(現・北海道コンサドーレ札幌)をはじめ、稲本潤一(現・SC相模原)、高原直泰、中田浩二、小笠原満男など1979年生まれの選手を中心とする“黄金世代”が集結。すると、若きサムライたちは世界を驚かす快進撃を演じてみせた。

 初戦のカメルーン戦こそ逆転負けを喫するが、アメリカとイングランドに連勝して決勝トーナメント進出を決定。その後も、ラウンド16でポルトガル、準々決勝でメキシコ、準決勝でウルグアイと世界の強豪国を次々に撃破して決勝進出を果たした。ファイナルではシャビ・エルナンデスを中心とするスペインに0−4と完敗。世界の頂点に立つことはできなかったが、日本がFIFA主催の国際大会でファイナルの舞台に辿りつくのは、男女を通じて初めてのことだった。

 その後も選手たちの多くがシドニー五輪、2002年&2006年ワールドカップなどに出場。史上最強のジェネレーションとして日本サッカーをけん引した。

■2007年カナダ大会 ミニ“ワールドカップ”としての地位確立へ

優勝:U−20アルゼンチン代表

 出場国が16カ国から24カ国に拡大された1997年大会から10年、2007年のカナダ大会をもって大会名は「FIFAワールドユース選手権」から「FIFA U−20ワールドカップ」に改称された。“ワールドカップ”のブランド向上を目的とした変更だったが、今まさに第一線で活躍する名選手たちが北米の地に降り立った。

 連覇を果たしたアルゼンチンでは、大会MVPと得点王に輝いたセルヒオ・アグエロ(マンチェスター・C)がエースとして君臨。アンヘル・ディ・マリア(パリ・サンジェルマン)もメンバーに選出されていた。さらに3位入賞を果たしたチリには、アレクシス・サンチェス(マンチェスター・U)とアルトゥーロ・ビダル(バルセロナ)が、ベスト8進出を果たしたスペインにはジェラール・ピケ(バルセロナ)がいた。その他、ブラジルではダヴィド・ルイス(チェルシー)とマルセロ(レアル・マドリード)が、ウルグアイではエディンソン・カバーニ(パリ・サンジェルマン)とルイス・スアレス(バルセロナ)が主軸としてプレーするなど、“ミニ・ワールドカップ”とも言える豪華な大会だった。

 ベスト16進出を果たした日本でも、香川真司(ベシクタシュ)を筆頭に、内田篤人(鹿島アントラーズ)、槙野智章(浦和レッズ)、柏木陽介(浦和レッズ)など後のA代表選手たちがメンバー入り。「かめはめ波」などの個性的なゴールパフォーマンスで現地のファンを沸かせ、“調子乗り世代”の異名をとった。

■2009年エジプト大会 新時代到来〜アフリカ勢が初優勝〜

優勝:U−20ガーナ代表

 1977年の第1回大会から数えること32年。U−20ワールドカップに新たな時代が到来した。エジプト開催となった2009年大会では、ガーナがブラジルをPK戦の末に下して優勝。アフリカ勢として初めてU−20世界王者に輝いたのだ。大会MVPと得点王の2冠を達成したのも、ガーナのFWドミニク・アディアー(シーサケートFC)だった。

 それまで、U−17ワールドカップではナイジェリアが3度(1985、1993、2007年)、ガーナが2度(1991、1995年)にわたって世界王者に君臨。アフリカ勢の強さが際立っていたものの、U−20世代と“本家”のワールドカップでは南米勢と欧州勢がトロフィーを独占していた。それだけに、サッカーの歴史に新たな1ページが書き加えられた大会となった。

 またこの時、次々に新記録が誕生した。全52試合で167得点が生まれ、1997年のマレーシア大会の165得点を上回ってU−20ワールドカップの新記録となった。さらに、観客動員数も大会レコードを更新。2年前のカナダ大会で記録した119万5239人を超える129万5586人がスタジアムに足を運んだ。決勝戦の来場者数は6万7814人。ワールドカップ決勝並みの熱気に包まれるなかで、ガーナが世界の頂点に立った。

■2017年韓国大会 VAR初登場と“サッカーの母国”の戴冠

優勝:U−20イングランド代表

 2年前に韓国で開始された前回のU−20ワールドカップでは、新たなテクノロジーの導入が話題となった。ビデオ・アシスタント・レフェリー、通称“VAR”の採用である。今ではすっかりお馴染みとなったが、2016年のFIFAクラブワールドカップで初導入されて以降、FIFAの年代別国際大会でVARが使用されたのは初めてのことだった。

 5大会ぶりの出場を果たした日本も、南アフリカとの初戦から新システムの恩恵を受けることとなる。小川航基(ジュビロ磐田)が放ったシュートを相手GKがライン際で掻き出したように見えたものの、VARによってゴールと認められたのだ。その後、堂安律(フローニンゲン)が逆転弾を決めて、白星スタート。VARの好アシストが導いた勝利だった。

 その日本をベスト16で下した相手が、サッカー新興国として知られるベネズエラだった。南米で唯一FIFAワールドカップへの出場経験がなく、U−20ワールドカップも2009年以来2度目の出場。前評判は決して高くなかったが、快進撃を続けて初の決勝進出を果たした。しかし、世界一の栄冠を手にしたのはイングランド。FWドミニク・カルバート・ルーウィン(エヴァートン)の決勝ゴールで大会初優勝を果たし、母国開催の1966年ワールドカップ以来、51年ぶりにFIFA主催の世界大会で頂点に立った。

文=Footmedia