【貧困女子】院卒バイト35歳、高卒に使われる葛藤と老親の嘆きと不採用通知〜その1〜
女性誌『Suits WOMAN』で注目を集めた「貧困女子」。これは普通の毎日を送っていたはずが、気がつけば“貧困”と言われる状態になってしまった女性たちのエピソードです 。
生野香織さん(仮名・35歳・アルバイト)の最終学歴は有名大学の大学院卒業ですが、現在の職業は地元のカフェ勤務。時給は1000円、年収は120万円です。実家に住んでおり、父親は75歳、母親は70歳で、親が要介護になったらどうするか、真剣に悩み始めたと言います。
「小さいときから、『末は博士か大臣か』と言われていました。学校の成績がとびぬけてよかったので、子供の頃は両親の自慢の娘でした。難関私立大学に現役で合格した頃が、私の人生の最高潮だったと思います」
容姿は普通ながら、頭がよく、利発な女の子だった香織さんは、“正義”を貫いて生きていきたいと思っていたと言います。
「弱いものいじめをしたり、人の体のことや、病気、差別的なことをからかう子には、真っ向から立ち向かっていました」
しかし、成績優秀な学級委員は、高校時代に最初の挫折をしたそうです。
「中学校までは、勉強とスポーツができればクラスの中心になれたのに、高校になるとそれだけではありません。加えて、おしゃれのセンスとか、遊んでいる友達、聞いている音楽など、趣味の世界がイケてないと、中心になるどころか誰からも相手にされない。公立の進学校だったのですが、私は入学直後にクラスをまとめようとしてしまい、ウザいヤツ認定をされてしまったんです」
もともとリーダー気質があったという香織さんは、クラスをまとめて行事を成功させようとするべく、奮闘しました。
「あれは体育祭の準備期間の時でした。クラスの係担当を提出しなくてはならず、誰かがまとめなくてはいけないと思った私が『みんな、集まって』みたいな感じで黒板の前に立ったんです。すると、クラスのある男子から『そういうのいいから』と言われました。拒否された感じがして、その日はそのまま泣きながら帰ったんです。翌日登校したら、クラス全員の係が決まっていて、教室のグルーヴ感が生まれていたんですよね。私がいない方が、みんながまとまるとわかってから、一切の行事にも部活にも参加せず、高校3年間を勉強三昧で終えました」
容姿のコンプレックスも芽生えたとか。
「中学校時代まではガリガリだったのに、高校3年間で15キロ太ってしまったんです。160cmで体重は60kgくらいありましたね。これは今でも変わっていませんが(笑)。ニキビもすごいことになって、今でも跡が残っています」
しかし、さまざまな要素が重なった結果、第一希望の難関私立大学に合格。
「修学旅行も行かずに勉強していましたからね。勉強は通信教育と独学なので、さほどお金もかかっていません。両親からは『なんて親孝行なんだ』とほめられましたし、高校の先生からも『よくやった』と激賞されました」
大学でも勉強を続け、優秀な成績をおさめた香織さん。大学の先生からはかわいがられ、研究費で海外に連れて行ったもらったこともあったそうです。
「でも就職活動では惨敗でした。社会学系の学部だったので、企業にコネがある先生も少なく、自力で開拓しなければなりませんでした。私は初対面の人と話すのが超苦手なので、就活は1次か2次面接で落とされてしまいました。就活は勉強とは違い、頑張ったから結果が出るものでもない。むしろ、頑張らない方が結果が出ると思ってしまうことも多々ありました」
結局、正社員としてどこにも採用されなかった。
「20社くらい受けてダメだったので、『これは私に向いていない』と思い、大学院に進むことに決めたのです。就職試験は惨敗でしたが、大学院試験はそこそこの努力で最高の結果を出すことができました。指導してくれた教授から、『生野さんは、院に進まずに、バイトでもいいから社会に出た方がいいんじゃないかな』とポロっと言われたことがありました。今ではその意味が解るのですが、当時はムカッとして、その先生に『私が女だからですか?』とカッとなって言ってしまったことがあります」
今だからわかる“意味”とは、文系の大学院に進むと、就職先に恵まれにくいということ。
「理系は就職先が多々あるのですが、文系の院卒を採用する企業は少ないです。大学に残っても、非常勤講師や講師になり人脈を広げ、助教授、教授までなれる人はほんの一握り。塾講師や本の執筆で生計を立てるのは、不可能に近いです」
香織さんは、大学院に進むまで、アルバイトをしたことがないそうです。
「実家に住み、ほぼ友達もおらず、親がそこそこ裕福だから、バイトをする必要がなかったんです。私には7歳年上の兄がいるのですが、高校を中退した後、型枠工になり、今でも建築現場で働いています。兄は2年前に結婚したのですが、今でも両親に仕送りをしています。兄は稼ぎがありましたからね。両親が私の学業を応援してくれたのは、この兄の存在も大きいです。両親ともに大卒なのに、兄の高校中退でホントに悩んでいたので、妹の私が学業優秀だったのがうれしかったんじゃないかな」
人生の絶頂期は、名門私立大学に合格したこと。そしてその次は、卒業して大学院に進学したこと。
大学院を卒業しても仕事が決まらない理由は、『人が苦手』というマイナス点が理由だった〜その2〜に続きます