野村克也氏と亡き妻の沙知代さん

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猛妻に先立たれ1年余…野村克也が語る「孤独との向き合い方」(1/2)

 伴侶は名うての猛妻でも、夫唱婦随ならぬ婦唱夫随を貫いた野村克也氏(83)。男やもめになって1年余り、それでも元気に仕事もこなすプロ野球界のレジェンドが、孤独と向き合う処世術について、イチローについて、今のプロ野球について、ぼやきながら語った。

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〈歴史的な名スラッガーなのに恐妻家。そしてぼやき。野村克也という人物は一見、とらえどころがないように見えながら、その実、「女房役」という言葉で、人物像をかなり語れそうだ。

 その戦績は実に輝かしい。1954年のシーズン途中にテスト生として南海に入団すると、56年には正捕手に定着。翌57年に本塁打王を獲得すると、65年には戦後初の三冠王に輝いた。70年に兼任監督になるが、77年に退任し、ロッテ、西武へと移籍し、生涯一捕手であろうとした。80年に引退するまでの成績は、MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回を数え、2901安打、657本塁打、1988打点を残している。

野村克也氏と亡き妻の沙知代さん

 監督としても南海のほかヤクルト、阪神、楽天で、リーグ優勝を5回、日本一を3回達成。名将の名をほしいままにしたが、一方で、率いるチームが快進撃を続けていても、口から出るのは前向きな言葉よりも、ぼやき。加えて強いイメージは、45年間連れ添ったサッチーこと、沙知代さんの尻に敷かれる姿である。

 だが、要は、生粋の捕手であり、投手を支える縁の下の力持ちだという意味で、野村氏は「女房役」であり続けたのだ。〉

 サッチーは本当に自己中心のわがままな性格で、野球にたとえれば、「わがままな大投手」ですかね。だから、僕はグラウンドでも家でも、キャッチャーだったんですよ。彼女は妻らしいことをなにもしないで、全部お手伝いさん任せだったからね。ご飯を食べるにしても、家で食べるのか、外で食べるのか、なにを食べるのか、というのも全部彼女が決めていました。僕はただそれに従うだけだったから。でも、ピッチャーがいてくれないと、キャッチャーとしては、やっぱりさみしいもんですよ。

「手を握ってほしい」

〈沙知代さんが心不全で急逝したのは、2017年12月のこと。85歳だった。この稀代の名捕手にとって、球を放る投手が不在になったのは、野球に勤しむようになってから、初めてのことだったはずだ。その後の生きざまには、男やもめが生き抜くための、数々の人生訓が見出せる。〉

 サッチーが亡くなる前日とかも、兆候は全然なくて、いつもとまったく変わらないように見えたよ。ひとつだけ変だったのは、亡くなる日の朝、隣りのベッドで寝ていたサッチーが「手を握ってほしい」と言ってきたことでした。数十年の付き合いのなかで、一度もそんなこと言われたことがなかったから、驚いたな。数分くらい無言で手を握っていたと思います。彼女は直感の鋭い人だったから、いま思うと、なにかを感じていたんだろうね。

 サッチーのように突然死ぬのと、長い間闘病したあとで亡くなるのと、どっちがいいのかなあ。まあ、どっちも死ぬんだから、いいとは言えないけど。突然死でつらかったのは、心の整理ができなかったことです。ショックが大きかったから、しばらくは死んだという事実を受け入れられなくてね。墓に送って、ようやく現実を受け入れて、大仕事が終わったな、という感じで心が落ち着いたかな。墓も買っていなかったから、息子の克則の奥さんに、1週間くらいで見つけてもらいました。僕も隣りに入れるようにしてね。

 いまもふとした瞬間に彼女を思い出しますよ。仕事を終えて帰宅すると、サッチーがいない家が、ものすごく冷え切ってるような感じがするんです。精神的な意味でね。いま僕にとって温かいのは、彼女がテレビを観ながら座っていた椅子。いつも座りながら、たばこをぷかぷかと吹かしていました。何回「やめろ」と言っても、たばこをやめなかったなあ。いま僕がそこに座って、一日中テレビを観てるんです。一緒に住んでいたときは、別の部屋でテレビを観ていたのにね。

「まったくストレスなし」

〈サッチーを思い出すタイミングも、女房役ならではである。〉

 それは、決まって「こんなことをしたら怒られるかも」というとき。たとえばサッチーは生魚を食べられなかったけど、僕は寿司が大好物。彼女が亡くなってから、自由に寿司が食べられるようになったんだ。でも、「寿司ばっかり食べるな!」と、怒られる気がするんですよ。あと、彼女は僕の仕事を全部管理していたから、僕がいまやっている仕事に対して、「そんな仕事は受けるな!」と怒っているんじゃないか、と思うこともあります。

 浮気もできないですね。ついつい「銀座に遊びに行ったらサッチーに怒られるんじゃないか」と考えてしまうから。昔から、銀座で女の子を口説こうと思っても「サッチーが怖い」と逃げられたもんです。いまでも逃げられますよ。みんなサッチーのおばけが怖いんじゃないですか(笑)。

 女房に先立たれると、男の弱さがわかるよね。一番つらいのは、話し相手がいないこと。僕は「ぼやきのノムさん」なんて呼ばれてるけど、その「ぼやき」の相手がいなくなってしまうと、やっぱりさみしい。

 監督時代は、家で選手への不満なんかをぼやいていると、それを聞いたサッチーが直接選手に言いに行ってしまって、週刊誌などで問題になったこともあったな。サッチーは相手が傷つこうが傷つくまいが、お構いなしの人だったから。それに対して僕が怒ったかって? 彼女は人に怒られて改めるようなタマではありませんよ(笑)。

 監督を辞めてからも、テレビで野球を見てはぼやいていました。彼女は野球がわからないから、「ふーん」と聞いてるだけですけど、それでも聞いてくれる相手がいるのといないのとでは全然違います。だからさみしいけど、これは我慢するしかないよ。サッチーの死後もこうして元気でやれている秘訣は……、性格次第なんじゃないかな。

〈そう語るが、おそらく最大の秘訣は、ストレスがないことなのではないだろうか。〉

 いま、仕事はテレビの収録とか新聞や雑誌の取材などで、週に2、3日は働いているかな。でも、この歳になると、もう仕事もそんなに来ないよ。だから働きすぎにはならないし、適度に仕事をしてる感じかな。

 現役時代から夜型で、いまもそのままです。だいたい夜の2時か3時までテレビを観て、昼ごろ起きるという生活。毎日10時間以上寝ています。休みの日は1日、テレビを観て過ごしていますよ。散歩とか運動はまずしませんね。

 いまの楽しみは、食べることと寝ることかな。食事は好きなものを食べていて、ホテルに食べに行くことも多いですよ。天ぷらも中華も寿司も、なんでもあるから、その日の気分に合わせてね。なにを食べるべきかは体が教えてくれるから、それに従うだけです。

 僕の同期は(近鉄やオリックスの監督を歴任した)仰木彬をはじめ、たくさん死んでるけど、僕の健康の秘訣は、たくさん寝て、好きなものを食べること。おかげで、まったくストレスがない日々を送っていますよ。それも体にはいいのかもね。野球評論家の仕事も、根っからの野球好きだからストレスは感じないな。

 克則の奥さんがよくできた人でね。自分の同級生をお手伝いさんとして呼んでくれたり、サッチーが亡くなったあとの、いろんな書類の手続きとかも、全部やってくれました。だから僕は、本当になにもしないで済んだんですよ。

(2)へつづく

「週刊新潮」2019年5月16日号 掲載