日本史を動かした歌

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 「歌は世に連れ、世は歌に連れ」といわれる。昭和の歌謡番組、司会者が毎回口にしていた。歌は世に連れるが、世が歌に連れることなどあるものか、と思っていた。高橋和巳も『白く塗りたる墓』(筑摩書房)の中で、否定的に語っていた。

 そんな事を思いながら、本書『日本史を動かした歌』(毎日新聞出版)を手にした。「歴史を動かした史実はあったのだろうか」と。

百人一首を参照した大久保利通

 著者の田中章義さんは、俵万智さんらと並んで最も知られる歌人の1人だ。慶応大1年の1990年に作品「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。歌人として活動しながら、テレビのバラエティー番組出演や、ブルースバンドBEGINなどへの歌詞提供など、活動の幅は広い。本書は『サンデー毎日』への連載「歌鏡」を基に編集された。

 では、日本史を動かした歌にはどんなものがあるのか。

 音にきく高師の浜のはま松も 世のあだ波はのがれざりけり(大久保利通)

 田中さんは「高師の浜は紀貫之や藤原定家らが詠んだ大阪の景勝地だ。明治政府は旧士氏族救済のため、松原を次々と伐採。1873年、県令とともに訪れた大久保は嘆き、掲出歌を県令に手渡した。県令はこれが百人一首「音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ」(祐子内親王家紀伊)の本歌取りであることを理解、伐採を中止させた。2639本あったものが800数十本残るのみだった」と解説している。

 歌で日本史を動かしたのはこの1首程度。それもささやかな歴史だ。やはり、歌が時代をつくることはまれなのだ。本書は、日本史を動かした人物による歌の紹介だった。

 さえのぼる月にかかれる浮雲の 末ふきはらへ四方の秋風(織田信長) 花咲けと心をつくす吉野山 又来む春を思ひやるにも(前田利家) 昨日なし翌またしらぬ人はただ 今日のうちこそ命なりけれ(今川義元) この世をばしばしの夢と聞きたれど おもへば長き月日なりけり(徳川慶喜)

 紹介される武士や政治家の歌は枚挙にいとまがない。

 和歌、短歌に限らず、歌の魅力の1つは言葉の持つ激しさだ。一方では肌合いの違う歌も紹介されている。

歴史の巻き添えになった人の歌も

 太き骨は先生ならむそのそばに 小さきあたまの骨あつまれり(正田篠枝) ふさがりし瞼もろ手におしひらき 弟われをしげしげと見き(竹山広)

竹山の歌は昭和20年8月9日の長崎での体験が詠まれている。退院する竹山を迎えに来るはずだったのが兄だ。「(竹山は)......熱い光を感じた。その直後、衝撃的な爆発波がやってきた......血だらけの人が逃げまどう中、やっとのことで外に出てみると、周囲の家が一軒残らずつぶされていた......兄に似た風貌の死者をすべて確認しながら歩き回った......そして、探し当てた兄を詠んだのが掲出歌だった」と描いている。

 武将や政治家の歌がどこか悟りがましいのに引き換え、歴史上無名の人が詠んだ歌に込められた怒りや悲しみは深い。そんな歌の解説にこそ、田中さんのペンは淀みなく流れる。

 著名人の引き起こした歴史の傍らで、巻き添えになった名もない人たちの詠んだ歌。その対比を示すためにこの本は編まれた。田中さんの狙いはそこにあったようにも思われる。

 それにしても、本当に世は歌には連れないのだろうか。「四面楚歌」の故事を引くまでもなく、戦場での軍歌や反戦デモの「インタナショナル」......事件や青春の現場に歌がいつもあったではないか。野球場やサッカー場ともなれば、取るに足りない事件の現場にも歌はこだましている。

 石川啄木や寺山修司、与謝野晶子......。力にあふれた歌は多くの人を動かした。歌の力とはいったい何だろうか、と評者は思う。

 短歌に関する本としてBOOKウォッチでは『怖い短歌』(幻冬舎新書)、『ある若き死刑囚の生涯』(ちくまプリマー新書)、『えーえんとくちから』(ちくま文庫)などを取り上げている。

書名:  日本史を動かした歌
監修・編集・著者名: 田中章義 著
出版社名: 毎日新聞出版
出版年月日: 2019年3月23日
定価: 本体1800円+税
判型・ページ数: 四六判・240ページ
ISBN: 9784620325781


(BOOKウォッチ編集部 森永流)