チャーチル(左)・ルーズヴェルト(中)・スターリン/1945年ヤルタ会談(Wikimedia Commons)

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 北方領土を「戦争」で取り戻す可能性について、元島民に質問をした丸山穂高衆議院議員への批判が高まっている。結果、彼は所属の日本維新の会から除名処分を受けることになった。
 酒席とはいえ、また「疑問形」の発言だったとはいえ、丸山議員が不用意だったことは間違いない。
 また、彼の発言の前提には、北方領土が「戦争」で取られたものだという考えがあるようにも受け止められるが、これ自体、正確さに欠けると言えるだろう。戦後のゴタゴタにまぎれてソ連が不法占拠したのは事実であるが、北方領土を失った経緯はそんなシンプルなものではない。

 有馬哲夫早稲田大学教授は、最新の文献研究をもとに著書『歴史問題の正解』の中で、この経緯について詳しく述べている。そこから分かるのは、決して「ソ連が隙を狙って侵攻してきた」といった単純な話ではない。
 アメリカ大統領の人気取り、ソ連のスパイの暗躍……米ソの身勝手な振る舞いと謀略によって、領土が奪われていった経緯を、同書をもとに見てみよう(以下は基本的に『歴史問題の正解』による)

人気取りのためにソ連と共闘

 1944年はアメリカ大統領選挙の年で、ルーズヴェルトは史上例のない大統領4選に臨んでいた。現在と違って当時は、世論調査は頻繁になされていなかったため、選挙の帰趨を予測することは難しく、彼は選挙戦を有利にするためにできることはなんでもしなければならなかった。
 そんなルーズヴェルトが有権者にアピールするために取った策の一つが、英国のトップ、チャーチルとソ連のトップ、スターリンとの巨頭会談を開き、戦争終結のための協議をすることだった。ドイツとの戦争を早期に終結させ、日本にも白旗を揚げさせるのに手っ取り早いのは、ソ連に対日戦争に参加させることだ、と考えたのだ。問題はスターリンがこの誘いに乗ってくるか、だった。

チャーチル(左)・ルーズヴェルト(中)・スターリン/1945年ヤルタ会談(Wikimedia Commons)

 というのも、スターリンは忙しかった。すでにドイツは敗走を続けていて、ソ連としては東ヨーロッパに支配地域を広げ、傀儡(かいらい)政権を作らなければならなかったからだ。それに、ドイツの敗戦が決まって、勢力地図がより明確になってからのほうが、噛み合った議論ができるため、スターリンの側には会議を急ぐ理由はなかった。この頃、すでに英ソ首脳は1944年10月9日にモスクワで、東ヨーロッパを英ソでどう分割するかまで話し合って、合意していたのだ。

『歴史問題の正解』有馬哲夫[著]新潮社

 いうまでもないことだが、これは英ソで勝手に決めていいことではない。当該国の国民はもちろんアメリカの承認もいる。
 そこで、ソ連に駐在していた米国の大使ウィリアム・アヴェレル・ハリマンがこの話の相談に与ることになった。このとき、ハリマンは米英ソによる巨頭会談のことをスターリンに打診した。するとスターリンは、カイロ会議のときから対日参戦するにあたって米英に「政治的問題」が解決されなければならないと言っていたが、次の巨頭会談でそのことを話したいとも伝えた。
 婉曲な言い方だが、スターリンの言う「政治的問題」とは対日参戦と引き換えにソ連に渡す利権のことだ。のちに「極東密約」と呼ばれるもので、南樺太の返還、千島列島を引き渡し、満州の利権の取得を斡旋するというものだった。つまり、参戦の見返りというエサで釣って、巨頭会談に応じさせたのだ。

 このようにして巨頭会談は開催までこぎつけた。場所はソ連の領土、クリミア半島の南端のヤルタ。問題は、この会議でルーズヴェルトが行った信じがたい言動である。
 ヤルタ到着後、ルーズヴェルトは会議場に行く途上で周辺が荒れ果てているのに気付いて「なぜクリミアはこうも荒廃しているのか」と尋ねた。
 スターリンが「ドイツ軍によるものだ」と答えると「ではドイツ軍将校を5万人ほど処刑しよう」と提案している。
 さらにドイツをどう処理するかという話になるとルーズヴェルトはソ連にドイツの約80パーセントの工業設備と約200万人の労働力を持ち去らせ、農業国にしてしまおうと言った。チャーチルが「それではドイツという馬は働けなくなります、干草ぐらいは残してやりましょう」ととりなすほどだった。

 ソ連はのちに満州に侵攻し、現地のあらゆる日本の工業設備を持ち去っただけでなく、ポツダム宣言に違反して、約60万人の日本の軍民をシベリアに送り、強制労働させた。しかも、今にいたるまで謝罪も補償もしていない。
 しかし、こうした非道な行為も、スターリンにしてみれば、ドイツに対して行っていいとヤルタでルーズヴェルトとチャーチルが認めたのと同様のことを、同じ敗戦国の日本にして何が悪いということになる。

ルーズヴェルトの非道

 さらにルーズヴェルトは、まるで最後の審判を下す神になったかのような発言をする。敗戦国ドイツの生活水準がソ連を上回ることがないようにしようとスターリンに言ったのだ。(日本占領のときも、占領軍は日本を農業国家にし、生活水準を戦勝国の中華民国よりも低く保つべきだという議論をしている)

 ルーズヴェルトの人間性を疑わせる最大の問題点は、1941年8月の大西洋会談でチャーチルとともに、あらゆる国(敗戦国も含む)に対して、政体選択の自由と領土保全が認められると決めたにもかかわらず、これに反する政治的取引をスターリンとしていることだ。つまり、ルーズヴェルトはスターリンが東ヨーロッパの人民から政体選択の自由を奪うのを黙認し、ドイツと日本から領土を奪う取り決めをしている。これは、当時であっても極めて横暴で無法な行為である。

 しかも、ルーズヴェルトは、自国の領土をソ連に与えると約束したのならともかく、日本固有の領土、即ち南樺太と千島列島をソ連に与えると約束している。
 ルーズヴェルトは、ソ連が軍事力でドイツや日本の領土を奪うのを黙認するというレベルにとどまらず、自らはそれらの領土になんの権利もないのに、あたかもあるかのように振舞って、ソ連に与えることを承認したり、約束したりしている。
 決して見逃すことができないのは、極東密約のなかでソ連との取引材料とされた東清鉄道、南満州鉄道、大連、旅順の利権は、敗戦国どころか、アメリカにとっては同盟国である中華民国のものだということだ。アジアの同盟国は、敗戦国と同等だとでも思っているようだ。ルーズヴェルトのモラルのなさは想像を絶している。

 ルーズヴェルトは、日米開戦以前から、戦争を繰り返さないための恒久的平和維持機構として、国際連合を創設するという理想を掲げていた。
 にもかかわらず、理事国となることを想定しているソ連に、他国の領土を奪うことを承認したり、両国の交渉の取引材料に使ったりするのでは、この国際機構の先は見えている。事実、今日のわれわれがよく知っているように、このあとの国際連合は恒久的平和維持機構というより、強国のエゴを小国に押し付ける大国クラブに堕してしまう。これはルーズヴェルトが現実主義的だったということではなく、節操がなかったのだと言わざるを得ない。

 こうしたルーズヴェルトの言動は、決して当時の大国の「常識」であったわけではない。モスクワ会談で極東密約の大枠が決まったあとで、アメリカ国務省はハリマン大使とスターリンの間で話し合われた千島列島全体の引き渡しに問題がないかどうか調査している。その結果、南千島(北方四島)は、歴史的にも住民の実態からも北海道の一部なので、ソ連への引き渡し対象からは除外すべきだと結論しているのだ。国務省はそれを勧告書にまとめルーズヴェルトに提出していた。

 この通りにすれば、北方領土は奪われなかっただろう。
 しかし、ルーズヴェルトがヤルタで南千島についての報告書や勧告書を読んだ形跡はない。したがって、彼はスターリンと話したとき、千島列島の引き渡しについてなんら条件を付けなかった。
 ヤルタ会議の当時、ルーズヴェルトの健康状態が悪化していて、とても会議に耐えうる体でなかったことはさまざまな研究から明らかにされている。もし、健康で、より気力が充実した状態で、万全の準備を整えてヤルタ会議に臨んでいたならその後の世界はどうなっていただろうか。

ソ連スパイの暗躍

 それにしても、なぜルーズヴェルトは自国の国務省の勧告書を読まなかったのか。
 実はここでソ連の諜報機関が関与していたことが、今日では明らかになっている。
 当時、国務省の高官で、会議の文書や資料を用意する事務方のトップとして会議スタッフに入っていたのは、アルジャー・ヒス特殊政治問題局長だった。
 このヒスがかかわった会議では、ルーズヴェルトに渡されるべき報告書や勧告書が渡っていなかったり、記録されるべき議論が記録されていなかったりといった問題が多くある。これはもともとがずさんだったうえに、ヒスが意図的にやった可能性が高い。のちにわかったのだが、彼はソ連のスパイだったのである。

 ヒスについては、一時期までは実際にスパイだったのか疑問視されていたが、90年代から機密文書の発掘でKGBなどの研究が進んだ結果、実際に1930年代から、ソ連のスパイとしてアメリカで活動していたことが判明している。
 首脳同士の会議では、事前に議題を整理し、結論をまとめた文書やメモを用意することが、会議の結論を左右することになるのだが、ヤルタ会議ではアメリカ側の作業を担当していたのが、ソ連のスパイだったことになる。アメリカは戦後処理を決める首脳会談をよりによってソ連のスパイに取り仕切らせてしまったのだ。
 そのため、せっかくの国務省の勧告書は意味を持たなかったのである。

 歴史はきわめて複雑怪奇であり、問題解決も一筋縄ではいかない。戦争で取り返す、などといったシンプルな解法は通用しないのだ。

デイリー新潮編集部

2019年5月18日 掲載