中国メディアは、中国にとっては1937年が抗日戦争の幕が開けた年であると指摘する一方、当時の日本と中国の総合的な国力はどちらが優っていたのかと問いかけつつ、「真実は中国人の想像を超えていた」と主張した。(イメージ写真提供:123RF)

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 1937年に勃発した日中戦争について、中国メディアの捜狐は13日、当時の日本と中国の国力の差を比較する記事を掲載し、「中国人の想像を大幅に超えるほどの差があった」と論じる記事を掲載した。

 中国人の多くは歴史問題に非常に敏感だが、記事は「1937年はすべての中国人にとって非常に特殊な年であり、同時に忘れられない年である」と強調し、なぜならこの年に日本が中国に全面的に侵攻したからであると主張。7月7日の盧溝橋事件が日中戦争の引き金となり、その後の日本と中国は全面的な戦争へと突き進んでいったと論じた。

 さらに、中国にとっては1937年が抗日戦争の幕が開けた年であると指摘する一方、当時の日本と中国の総合的な国力はどちらが優っていたのかと問いかけつつ、「真実は中国人の想像を超えていた」と主張。当時の中国中国国民党による中華民国であったが、それ以前に中国を支配していた清王朝は長きにわたって鎖国政策を行っていたため、経済は立ち遅れていたと指摘し、37年に日本が中国に侵攻した当時の経済規模は日本の3割ほどしかなく、一人あたりGDPでは日本の20分の1以下だったと主張した。

 しかも、当時の日本はすでに列強の1つとして軍事強国の仲間入りをしており、工業化も中国より進んでいたと指摘する一方、当時の中国側はまだ農業国であり、戦闘機や戦車はもちろん、兵士に銃を支給することすら満足にできなかったと主張。それゆえ、中国側が軍事面で日本に優っていたのは「兵士の数」だけであり、兵器の質や軍隊としての質では日本が圧倒的に優位にあったと強調した。

 さらに記事は、中国共産党軍であった八路軍は十分な食事すら供給できず、日本軍から奪った銃で応戦したのが現実であったと指摘。最終的に中国側は日本を追い出すことに成功したとしながらも、当時の実力差はこれほどまでに大きかったのだと伝えている。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)