柴田文江氏は体温計からカプセルホテルまでさまざまなデザインを手がける(撮影:吉濱篤志)

柴田文江氏というプロダクトデザイナーをご存じだろうか。例えばオムロンの体温計「けんおんくん」、無印良品のソファー、ベビー用品ブランド「コンビ」のベビーグッズなど柔らかく温かみのあるデザインが有名だ。

筆者も体温計、KINTO(キントー)のグラス、子育て時期にはベビーグッズと、柴田氏のデザインにはだいぶお世話になっている。どれも手に優しくなじむ、毎日の忙しさをホッと忘れさせてくれるようなものばかりだ。しかし家庭向けのものばかりではない。

鉄道分野では、JR東日本のホームに設置されている次世代自動販売機をデザインしたのも柴田氏だ。女性初のグッドデザイン賞審査委員長を務め、新機軸のカプセルホテル「ナインアワーズ」では海外の賞も受賞した。

そんな柴田氏が去年の11月にJR九州新幹線「つばめ」や「ななつ星in九州」などの鉄道デザインで知られる水戸岡鋭治氏と都内でトークショーを行った。その名も「鉄道のデザインと未来」である。

移動する喜びをかき立てるデザイン

柴田氏は「電車のデザインは若い頃からの夢」という。数々のデザインを世に送り出し、使う側の暮らしを幸せにしてくれた柴田氏は、どのような鉄道デザインを思い描いているのだろうか。

まず、なぜ電車のデザインをしたいと思うのか聞いてみた。もともと電車に限らず「モビリティ=乗り物」に興味がある、と柴田氏は言う。

「移動をするのって基本的に楽しいでしょう。しかもモビリティは自分では出せないスピードで遠くまで連れて行ってくれるじゃないですか。だから、その移動に対する喜びをよりかき立ててくれるデザインをしたいと思うんです」

だからクルマを、電車をデザインしてみたいと公言しているのだが、「なかなか発注が来ない」と柴田氏は笑う。

「2020年からフィンランドで走る自動運転のバスを無印良品がデザインしたと発表がありましたが、あれは私にとっては理想的なデザインですばらしいと思いました。私もいつかモビリティのデザインを手がけてみたいという思いが強くなりました」

柴田氏の作りたい電車のデザインとはどんなものだろう。

「そもそもデザイナーには、どんなものが作りたいというイメージが先行していることはないと思います。自分が作りたいものを当てはめて作ることはできませんし、自分の考えにピッタリのコンセプトの仕事が来ることもない。どんな街を走っている電車なのか、どういう使われ方をしているのか、そういうテーマがあって初めて突き詰められるものだから、作りたい電車のデザインというのはないのです」

確かに言われてみれば、いや、言われなくてもそのとおりだ。ただ、どういう形で、どういう色で、という具体的な車両デザインの話ではなくても、柴田氏の提案したい電車の話を聞いてみたい。

言語化できない部分に問題が潜む

「自分の仕事の話になってしまいますが」と前置きをしてから柴田氏は話し始めた。今でこそ柴田氏が教授を務める美術大学でも体温計のデザインを提出する学生はいるが、以前、体温計は真剣にデザインする対象ではなかった。ただ、脇の下に挟んで体温が測れるという目的がかなえられるものであればよかった。でも、たとえ体温計だろうと自分のものだから愛着を持って使ってもらえればうれしい、と思いデザインした形が結果として消費者に受け入れられた。


柴田文江(しばた ふみえ)/武蔵野美術大学卒業後、大手家電メーカを経て独立。エレクトロニクス商品から日用雑貨、医療機器まで幅広い領域で活動(撮影:吉濱篤志)

「乗り物も公共のものではあるけれど、会社に行くため、学校に行くため、遊びに行くため毎日のように乗るものだから、使って豊かな気分になれるものをデザインしたいと思っているんです」

今の電車の中のデザインには、座席に座っている人が足を投げ出せないようシートに絶妙な傾斜がついていたり、座る人数を規定するかのような手すりがついている。これはデザインの力で車内を使いやすくしている例だと思うが、そのような便利なアイデアについてどう思うかと聞いてみた。

柴田氏は一瞬考えてから言った。

「今ある問題を解決するのはデザインするものにとって大前提だし、確かにここに何がついていると便利だとか、そういうわかりやすいことはもちろんクリアしたうえで、そうではない部分を私はデザインしたいと考えています。

なぜなら、ハッキリと言語化できるような問題ではないところに、真の問題が隠れているような気がするからです。効率や利便性だけではなく、使い心地とか気持ちよさとか目に見えないところをデザインしたいと思っています」

柴田氏は続ける。

「ヨーロッパに行くと電車がとても心地よい。すごくグレードが高いわけではないけれど、乗っていて気持ちがいい。例えば水戸岡鋭治氏の作り出すクラシックな電車のデザインも1つの答えだと思います」


西武鉄道の新型特急「ラビュー」(撮影:大澤 誠)

このトークショーでは、西武鉄道の特急ラビューのデザインを水戸岡氏とともに絶賛していた柴田氏。もう一度感想を聞いてみた。

「ラビューはいいですね。はじめて見たときには驚きました。あの球体のガラス張りのデザインが通るとは思わなかったので。それを実現した鉄道会社もすばらしいと思います」

柴田氏が新しい電車のデザインをするとなると、鉄道会社とどのような形で組みたいだろうか。

「企画段階から入れてもらえるほうがありがたいですね。いろいろ決まってからではなく、企画の最初の段階から参加させてもらってチームの一員としてデザインしたいです。そのほうがよいものができると思います」

たった1つの答え

ただし、柴田氏は、鉄道会社に入ってたくさんの電車のデザインがしたい、というわけではないという。オムロンの体温計をデザインしたときも体温計の本質を突き詰めていって、それを形にしただけだった。体温計の役割である、温度を「見ること」と「測ること」に特化した、液晶が大きくて脇に挟みやすい形を重要視し、「たった1つの答え」として世に出した。

だから電車でも、どこの鉄道会社で、どんな場所を走るのか、通勤電車なのか、特急なのか、あらゆる条件でデザインは変わるのだろう。

「必ず適切な答えはある」という柴田氏がデザインする電車の答えとは、どのようなものなのだろう。外観は、内装は……、想像するだけでワクワクしてしまう。どこか、早く柴田氏に鉄道会社から電車のデザインの発注がないものか、ファンとして願うばかりである。