11日放送、関西テレビ「こやぶるSPORTS」では、阪神タイガースの新人・木浪聖也と家族や母親の絆を紹介した。

父親の影響で小学1年生のときに野球を始めた木浪は、甲子園の常連・青森山田高校に進学。朝練でも「誰よりも先にグラウンドに入りたい」との要望から、母の忍さんも4時半に学校に送り届けていたという。

甲子園出場はかなわなかったが、木浪は大学、社会人を経て、ドラフト3位で阪神に入団。オープン戦では22安打と球団新人最多安打を記録し、開幕スタメンを勝ち取った。

だが、シーズン入りしてからは快音を聞かせられず、わずか5試合目でスタメン落ち。木浪は「何かおかしいのかなとか、けっこう考えるになってしまった」と振り返る。

苦しむ息子を見て、忍さんは「(自分も)気持ちが落ちるというか、苦しい思いがあった」という。だが、「(本人の苦しみは)もっとだから、盛り上げていくっていうか、聖也の気持ちをケアしたい」と、毎日のように激励のメッセージを送っていたそうだ。

17打席連続ノーヒットと苦しみ、ベンチを温める時間が長くなった木浪。だが、その苦しい時期を乗り越えられたのは、大学時代に兄から贈られたグローブに縫われた文字のおかげだ。母親の名前であり、「忍耐」も意味する「忍」という言葉である。

この一文字を心に刻んでいる木浪は、18打席目で待望の初ヒットを放った。忍さんは「すごい泣けました」とコメント。「本人も苦しかったと思うので、あのときがホームランより一番うれしかった」と、読売巨人軍の菅野智之から放った初本塁打以上の喜びだったと涙ぐんだ。

木浪は「ダメなときはダメとはっきり言ってくれる」「何があっても連絡くれたり、励まされたり、家族の存在は大きい」と、自身にとって家族は重要と述べた。

忍さんの誕生日である5月2日の試合では、4打数無安打とヒットで祝うことこそできなかったが、守備で好プレーを披露した。忍さんは「ずっと息の長い選手でいてほしい。また応援に期待し、ずっと応援したいので、そういう選手になってほしい」と、息子にエールを送った。