もはや「チーム以上の存在」となってしまったメッシ。この大エースへの依存度が高くなり過ぎている。(C)Getty Images

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 バルセロナがチャンピオンズ・リーグ(CL)準決勝の第2レグでリバプールに敗れ、ファイナル進出を目前にして大会から姿を消した。しかも0-4という屈辱的なスコアで、だ。

 リオネル・メッシ、ネイマール、ルイス・スアレスで形成する最強トリデンテの活躍で14-15シーズンにCLを制覇して以来、マドリードでのA・マドリー戦(0-2、15-16シーズンの準々決勝第2レグ)、パリでのパリ・サンジェルマン戦(0-4、16-17シーズンのラウンド・オブ16第1レグ)、トリノでのユベントス戦(0-3、16-17シーズンの準々決勝第1レグ)、ローマでのローマ戦(0-3、17-18シーズンの準々決勝第2レグ)、そして今回のリバプール戦と、バルサはCLのアウェーゲームで同じ失態を繰り返している。

 メッシを擁するバルサは近年、そのエースをいかに満足させるかという点にフォーカスしてチーム作りを進めてきた。しかし、この10番が好む選手が必ずしもチームにとって効果的な補強になるとは限らない。

 ネイマールが17年夏に退団すると、クラブは血眼になって後釜探しに奔走し、ウスマンヌ・デンベレとフィリッペ・コウチーニョを立て続けに獲得。今冬にもベンチの層を厚くするためケビン=・プリンス・ボアテング、ジェイソン・ムリージョというふたりのラ・リーガ経験者を確保したが、それぞれネームバリュー、即興性を重視した補強であり、そこに確固とした理念はなかった。
 
 結果として、チームプレーを最大の武器にしていたバルサは選手の能力に依存する比重が強くなった。そして常にその中心にいたのがメッシだった。もちろん世界ナンバーワンのプレーヤーがいるのは大きなアドバンテージになるが、その能力を発揮するだけの戦術的環境を用意しなければ、いくらで大エースであろうと活躍するのは不可能だ。

 メッシはあくまでチームという歯車の中で武器として活用すべであるのに、近年はチームのスタイルそのものと化してしまったのだ。

「メッシのチーム」になった影響は、クラブのマネジメントにも及んだ。ジョゼップ・マリア・バルトロメウ会長を筆頭する幹部は、増額し続ける主力のサラリーの資金調達に四苦八苦。選手たちはクラブでの発言権が増大するとともに、ファンとの関係が疎遠になった。今回のリバプール戦の敗戦においても、一瞬のスキを突かれた4失点目が象徴するように過信があった部分は否定できない。
 
 エルネスト・バルベルデ監督はあくまで選手のサポート役に徹して采配を振るい続けてきた。しかし今回のリバプール戦では内容以上の結果(3-0)を手にした第1レグを顧みることなく、そのまま同じゲームプランで試合に臨み、劣勢に立たされた後も適切な挽回策を提示することができなかった。

 すでにラ・リーガを制し、コパ・デル・レイでもファイナル進出とまだ2冠の可能性が残されている。しかし、CLのタイトル奪還を最大の目標に掲げてきた以上、そうした功績すら色あせてしまうのは致し方ないことだ。

 来シーズンに向けてすでにフレンキー・デヨング(アヤックス)の加入が確定しているが、もはや現在抱えている問題は、ひとりの選手の補強で解決できるレベルではない。それはアントワーヌ・グリエーズマンのような大物選手であっても同様である。
 
 監督が監督として采配を振るい、選手が選手としてプレーに専念し、会長はトップとしてクラブのマネジメントを統括する。その当たり前のことが行われていないのが現在の姿であり、バルサはフットボールクラブとしての在り方まで見つめ直す必要性に迫られている。

 CL3連覇を成し遂げたライバルのレアル・マドリーがすでにラウンド・オブ16で敗退しているのがせめてのもの救いであるが、それが最大の慰めでは余りにも寂しすぎる。

 金満化という時代の波に呑まれ、バルサはマイボールを大事にするというアイデンティティーを犠牲にしてまで結果に固執し続けてきた。

 今回の敗戦によって、その“ボール”が期せずしてバルサに舞い戻ってきた。それが、いくらコントロールが難しいボールであろうと、しっかりとキープし、これまでとは異なるアプローチでCL奪還へのロードマップを描いて反撃に移らなければならない。

文●ラモン・ベサ(エル・パイス紙バルセロナ版)
翻訳:下村正幸
※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙の記事を翻訳配信しています。