外務官僚が示した“虚偽”の「65カイリ問題」(米軍キャンプ・シュワブの高台から辺野古の海を視察する鳩山首相)/(C)共同通信社

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【平成の政治写真 あの事件の真相】

防衛省の“捏造”だった 辺野古の深度90m軟弱地盤を「固い」

 平成22年

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 民主党が圧勝した平成21(2009)年8月の衆院選直前、沖縄での集会で鳩山由紀夫氏は、普天間基地の移設先について「最低でも県外」と表明。首相就任後、鹿児島・徳之島など辺野古以外の移転先を模索した。ところが、22年5月の辺野古視察の際、「学べば学ぶにつけて(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持しているという思いに至った」と話し、県外移設を断念した。

 これが猛批判を招き6月、退陣に追い込まれるに至った。なぜ、県外移設を断念したのか。鳩山氏本人はこう話した。

「大きな理由は『65カイリ問題』です。22年4月、外務官僚から示された文書には、海兵隊の各部隊は常に一体的に訓練する必要があり、訓練する拠点から65カイリ(120キロ)以内に設置しなければならないと書いてあった。『米軍のマニュアルにも明記されている』との説明も受けました。徳之島は沖縄本島から約200キロ離れていますから、県外移設は無理と判断せざるを得なかったのです」

 ところが、自民党が政権に返り咲いた後、米軍のマニュアルには「65カイリ」について記載がなかったことが発覚。鳩山氏は官僚にだまされていた可能性が高いのだ。

「彼らは私の言うことには耳を貸さなかった。オバマ大統領とのやりとりの際も、全て官僚が介在。日米の役人間の作業部会の結果を私に知らせる『間接話法』ですから、米国側の考えを十分に把握できなかったのです。もっとオバマ氏と直接対話する機会をつくるべきでしたし、官僚とも膝詰めで向かい合うべきだった。私自身の力不足だったと思っています」

 県外移設が実現していれば、今も続く基地問題は解決していたかもしれない。