「M T S H  年  月  日」

書類などで、生年月日を記入する欄に書かれている「M T S H」の文字。そしてもうすぐここに、「R」の新しい文字が加わるのだ。

「H」という、30年と少し続いた時代が終わろうとしている今、東京カレンダーでは「H」を象徴するようなエピソードを振り返ります。

あの日あの時、あなたは何をしていましたか?

今回は、かつて外資金融で働き、勝ち組と言われる人生を送っていた かずみ(38)が主人公。2008年、世界中に大打撃を与えた経済恐慌は、一人の女の人生にも少なからず影響を与えた。

あれから10年7ヶ月が過ぎた今、彼女の人生は…?




「自分が、勝ち組か負け組かって、今まで考えたことある?それで言うと、お前は完全な“勝ち組”だよなあ」

かずみは、隣のテーブルから不意に聞こえたその言葉で、我に返る。東京ミッドタウン日比谷の『ドローイングハウス・オブ・ヒビヤ』で、友人を待ちながらボンヤリ物思いに耽っていたのだ。

そっと隣を見やると、2人組の若い男が、昼からビールを飲みながら会話に夢中になっている。

-勝ち組、負け組か…。

久々に耳にしたその単語が、胸をチクリと刺す。かずみもかつては、自分はまぎれもなく勝ち組の一人であると、信じて疑わなかった。

まだあれは、かずみが外資系金融業界で働いていた20 代の頃。

目を瞑れば、昨日のことのように記憶が蘇る。瞼の裏にはっきりと焼きついた、煌びやかでエネルギッシュな世界。 壁にかかった世界中の時刻を示す時計を見ているだけで、まるで自分たちが世界の中心にいるような錯覚に陥った。

だけど、ある日を境に、かずみの時計の針はピタリと止まってしまったのだ。

2008年9月15日のリーマンショック。

世界中の経済に衝撃を与えた金融危機は、かずみというたった一人の女の人生にも、大きな傷跡を残したのだった。


世界的金融恐慌をきっかけに、外資金融で働いていたかずみたちの人生が暗転する…。


かずみはその衝撃的な瞬間のことを、一生忘れないだろう。

あれは、10年7ヶ月前。そう、あの日は『オークドア』で、夫の正人と共にランチをしていた。

ハンバーガーが運ばれてきて、ちょうど半分食べ終わった頃、正人の携帯が鳴った。それまで呑気にフレンチフライを口に運んでいた正人が、電話に出て、真っ青な顔でこう呟いたのだ。

「大変だ。リーマンが潰れた…」

正人が震える声で口にしたその証券会社は、偶然にも『オークドア』と同じ六本木ヒルズに入っていた。

当時、正人はリーマンとは別の米系投資銀行でトレーダーとして働いており、かずみはセールスだった。同じ業界にいる二人にとって、この知らせは全く他人事ではない。




かずみは、ちょうど六本木ヒルズができた年に大学を卒業した。

その頃、国内外でいわゆる有名大学に通う学生たちは、競うように外資金融か官僚を目指していて、その栄光を手にした者は世間から期待と羨望を一身に浴びた。かずみもそのうちの一人だった。

大学に入る2年前には、国内の大手金融が倒産していた。だけど自分たちは違う、外資でやって行くんだという気負いがあった。

外資金融には当時キラキラした未来が見え、かずみも限りない可能性を信じて、期待で胸を膨らませたものだ。

新人研修は本社のあるニューヨーク。トレーディングルームも、ブルームバーグの端末も、学生上がりのかずみには新鮮で、何よりお給料も破格だ。

就職して4年目の頃、社内で知り合った5つ年上の正人と結婚をした。結婚当時、夫の年収は億を超えており、麻布の超高級マンションに暮らして、バケーションはラグジュアリーな海外旅行、星付きレストランを普段使いするような生活だった。

大学の同級生との会話が合わないと感じ始めたのも、その頃だったかもしれない。ちょうど同じ時期にリーマンは、溜池山王から六本木ヒルズに引っ越しをした。

それまでのかずみは、大学入試、就職活動、会社での昇進…。全てにおいて輝かしい成果を勝ち取ってきた。さらには社内で破格の年収を稼ぐトレーダーの男まで射止め、何不自由ない生活を手に入れたのだ。

まさに順風満帆そのものだった。

だけど、あの日からはそれが徐々に曖昧になってしまった。リーマンが倒産したという一報は一瞬にして、かずみの人生を暗転させたのだ。


元同僚との再会を果たすかずみ。しかし友人は今も輝いていて…。


「かずみ、ごめんごめん。お待たせ」

そのとき、ランチの約束をしていた友人の真琴が、『ドローイングハウス・オブ・ヒビヤ』にようやく現れた。

「真琴、久しぶり。忙しいのに時間作ってくれてありがとう」

真琴は、かずみの元同期だ。現在はシンガポールに住んでおり、一時帰国で東京に1週間ほどステイしている。

彼女は5年前に、資金を集めてシンガポールでファンドを設立した。かずみも少額の投資をしていたので、ファンドの成績報告も兼ねてのランチだった。

真琴が席に着くや否や、テーブルに置いた彼女の携帯電話が振動する。世界中のどこにいても多忙を極める彼女の携帯は、こうして常に鳴り止まないのだ。

「あ、仕事のメール。ごめん、急ぎの案件だから、これだけ返信しちゃってもいいかな」

「うん。どうぞ、お構いなく」

物凄いスピードでメールを打つ真琴を待ちながら、手持ち無沙汰になったかずみはチラリと横のテーブルに目をやる。




先ほど、勝ち組負け組の話をしていた若い男2人組は、ビールと食事を終えたらしく、食後のコーヒーを飲んでいる。まだ20代後半といったところだろうか。

ピンストライプシャツを着た男と、グレーのTシャツの男が、頬を少し紅潮させて話し込んでいた。

少し声が大きい二人の会話は、かずみが意図しなくても自ずと耳に入ってしまう。

なんでもピンストライプの男は、AIによる営業支援ツールを開発し、ITの新会社を立ち上げたところ軌道に乗っているらしい。先ほどTシャツの男が彼を「勝ち組だ」と言って持ち上げていたのは、それが理由のようだ。

若々しくギラギラとした瞳からは、恐れるものなどなく、未来への希望に溢れているのが伝わってきたけれど、かずみは心の中で毒づいた。

-勝ち組、ね。でも、10年後に同じ質問をしたら、同じ答えになると思う…?

そんな皮肉を言いたくなったのは、かずみ自身も、自分がまだ彼らのように若かった頃は、同じように考えていたから。

リーマンショックによって金融業界には一気に緊張が走り、その後の景色は一変した。

次はどこの金融機関が潰れるのか、そして誰がリストラされるのか。業界の友人みんなが疑心暗鬼になり、リーマン証券と自分たちの処遇を重ねる日々が続いた。

倒産まで行かなくても、多くの外資金融の支店が次々とアジアヘッドオフィスを東京からアジアの他国へと移していく。

それまで、証券会社のセールスたちは、競い合うようにクライアントの接待を繰り返し、湯水のように金をつぎ込んでいた。

超高級レストランや一枚10万以上するコンサートVIPチケットの接待は常だし、時には香港でのラグビーの試合に飛行機代付きで招待する、そんな光景が当たり前のように見られた。

だがそれも、全てが変わった。


リーマンショックをきっかけに大きく生活レベルが下がったかずみ。彼女の現在とは


リストラ対象のセールスたちは、その日からパタリとデスクに戻ってこない。人事担当に監視されながら、私物が無造作に詰め込まれたダンボール箱を持って出て行く姿は、まるで映画のワンシーンかのようだった。

そんなドラマチックな光景も、かずみには他人事ではない。いつ自分に順番がまわってくるかと恐れ、ビクビクしながら過ごしていたのだ。



かずみは、運ばれてきたスパークリングウォーターに口をつける。そういえば、レストランで一杯の水に高い代金を支払うことを知ったのも、新卒時代に上司に連れて行ってもらった高級ステーキハウスだった。

ちなみに当時大繁盛していたそのレストランは、エキスパットたちが東京から引き払っていくとともに閉店したらしい。

「かずみ、今の仕事はどう?ご主人はお元気?」

メール対応を終えた真琴が、「ごめんね」と謝った後で、矢継ぎ早に近況を尋ねる。

かずみは、リーマンショックのあった2年後に子供を授かり、それをきっかけに金融業界を離れた。現在は、大学時代の友人が起業した人事採用を請け負う会社で、週4で働いているのだ。

夫の正人は、今でも同じ投資銀行で働いている。リストラは逃れたけれど、当時破格だったボーナスの金額は大きく下がり、億を超えていた年収が一桁減った。

それまで夫には、40代で引退というプランもあったけれど、今では夢のまた夢だ。

そのとき、真琴の左手首に真新しいブシュロンの時計が光るのに気がついて、かずみは思わず目をそらして答える。

「子供にもまだまだ手がかかるし、いま仕事は減らしてるんだ」

そう答えながら、なんだか惨めに感じていた。契約社員という、一線で働いていない自分の待遇の言い訳を必死で口にしているかのようだ。

シングルで働く真琴の目には、一体自分はどう映るのだろう?きっと今でも彼女は、仕事で大口の資金を任され、シンガポールであの生活の延長線上にいるに違いないのに。

かずみと真琴は、同僚として働いていた当時、気のおけない間柄だった。

20代という若い年齢でありながら、高級スポーツクラブに豪勢な海外旅行。他の業界の友人との会話でなら控える贅沢な暮らしを象徴する“記号”を、真琴には隠す必要がない。

共に高い年収を稼ぎ、派手な業界に身をおく同志として、面倒なジャッジメントもなく気楽だったのだ。

働きすぎている自分たちへのご褒美と称して、女二人で銀座の寿司屋に行ってシャンパンをあけたり、まだ当時開業したばかりだったペニンシュラのバーで、値段を気にせず心ゆくまで飲むこともあった。




だけど、今はそうではない。

あの頃に比べて、かずみの生活レベルは大きく下がった。こどもが産まれたのをきっかけに、港区のマンションから目白に引っ越した。

テリトリーがかわり、生活のトーンが変わった。TSUTAYAの本を読みながらのスタバや有栖川公園、けやき坂のイルミネーションを眺める毎日から、閑静な住宅街、戸山公園へと場所を移し、週末は子供を連れて水族館へと足を運ぶ。

六本木ヒルズクラブの会員を解約したことは、真琴には黙っていたが、それはちょっとした見栄だった。目白に越した今では古巣から足も遠ざかって行ったのだが。

だけど、ちょうど子育て中心の生活へシフトする移行期だからと自分に言い聞かせていた。

今の仕事は収入面では満足していないけれど、子供を持ちながらあの頃のように金融セールスの仕事を続けるのは、現実的ではない。週4で働ける仕事は、今のかずみにはちょうど良いはずだ。

今となっては、リーマンショックからの10年7ヶ月は、夢から覚めるのには十分すぎる時間だっただろう。銀行の口座残高の数字が減っていくとともに、その夢からも覚めていった。


かずみは、過去の亡霊から逃れられないのか…?


しかし、一度上がった生活レベルを下げるのはそう簡単ではない。そのことを、誰よりもかずみは痛感していた。

今の自分には愛する夫と子供がいて、十分に幸せなはずなのに、時々どうしようもなく胸が苦しくなる。

真琴のように、当時の数倍の年収を稼ぐ女を目の前にしたとき。そんな彼女が、ひっきりなしに鳴るメールの対応に追われ、充実感に満ちた顔で仕事の成果を報告し、さらにその指や手首に、まばゆい成功の証を見つけてしまったとき。

-どうして私だけ、ここまで落ちてしまったの…?

そう思わずにいられないのだ。かつては、あんなに輝いていたのに…。

隣のテーブルの若い男たちのように、昔のかずみは、胸に希望を抱いた。外資金融業界の将来に、本気で夢を見ていた。

だけど、東京はアメーバのように変わる街。勝ち組でも負け組でも、瞬きの間に入れ替わり、油断しているとあっという間に取り残されるのだ。




「かずみ、ちょっと化粧室に行ってくるわね」

真琴が席を立ったとき、横からこんな会話が聞こえてきた。

「俺、一度は起業に失敗してるんだよ。新卒の会社すぐ辞めてから、新しいウェブのサービスを立ち上げて、起業当初は雑誌にも取り上げられたりして調子に乗って。でも驕りが祟ったんだろうな。一度は、地獄を見たよ」

声の主は、先ほど新会社が軌道に乗っていると話していたピンストライプの男だ。連れのTシャツ男は感心した様子で頷いている。

「それでもまた諦めずにトライしたなんて、すげえな。落ち込んだり自信無くしたりしなかったのか?」

「生きてれば、山あり谷ありなのは当然のことだろ。人生は、ジェットコースターみたいだから面白いんだよ。沈んだら、また這い上がるまでだと思うんだ」

10近く年の離れた男の言葉に、かずみはハッとする。

リーマンショックのあの日から、まさにジェットコースターみたいな浮き沈みについていけるか、ひたすら不安だった。それまで順調に成功だけを手にしてきたかずみには、耐えられなかった。

だから、あれほど誇りに思っていた仕事を変え、業界を離れ、それは全て育児のためだと自分に言い聞かせてきたのだ。

それなのに、いつだってあの頃の栄光と今を比べて、常に劣等感を抱きながら、煌びやかな過去を懐古する。

-きっと自分だけが、未だにリーマンの亡霊に取り憑かれていたのだ。

食事が終わり、ミッドタウン日比谷のエントランスに続く、吹き抜けのエスカレーターに乗る。不意に、六本木ヒルズの長いエスカレーターを思い出した。

あの頃は、その先には何があるのかワクワクした。あれから、街の様子もその中の主人公も入れ替わってしまったけれどー。

だけど、自分の人生の主人公は、自分しかいない。

そう気がついたら急に、胸につかえていた何かが消えてなくなった気がした。

過去にすがるのではなく、今を生きよう。巨額の富を失ったとしても、誇れる栄光の証がなくても。自分の人生を愛し、もっと必死で生きよう。

これからかずみの身に何があるかなんて、誰にもわからない。平凡な毎日が永遠に続くかもしれないし、ここから上昇していくかもしれない。もちろん今よりもっと下降する可能性だってないとは言えない。

それでも人生は、ジェットコースターみたいに浮き沈みがあるからこそ、面白いのだ。

Fin.

リーマンショックが起こった2008年(平成20年)の主な出来事

・流行語は「アラフォー」「ゲリラ豪雨」「なんも言えねぇ」
・2003年の漢字は「変」

◆1月
・NTTドコモがPHSサービスを終了

◆3月
・赤坂サカスがグランドオープン

◆7月
・日本各地で「ゲリラ豪雨」や「局地豪雨」と呼ばれる局地的な激しい雷雨による被害が発生

◆8月
・北京オリンピック開幕

◆9月
・リーマンショック
・麻生太郎氏が第92代内閣総理大臣に指名

◆10月
・日経平均株価がバブル崩壊以降最安値を更新。1982年以来26年ぶりの安値水準を記録