台湾でもっとも有名な日本人”ともいわれている、YouTuber三原慧悟さん。

自身のメインチャンネル「三原JAPAN」はチャンネル登録者数が100万人を突破し、アイドルとしても活躍しています。

現在、台北の街を歩いていればすぐに写真を求められ、交通機関に乗るとパニックが起きるくらいの人気ぶりなんだとか。

…と言われても、多くの日本人は「誰?」ってなりますよね。

私自身も同じ疑問を抱き、「彼は一体何者!?」と調べてみたところ、なんと慶應義塾大学出身で元フジテレビ社員。

そんなエリートの道を歩んでいたのに、なぜYouTuberに方向転換したのか? 

そしてなぜ台湾で活動しているのか? 気になるところがありすぎるので実際に会ってみました。

結論から先に言うと、彼はこれから、確実に日本でも話題になると思います!

〈聞き手=ライター・ほしゆき〉


【三原慧悟(みはら・けいご)】1989年生まれ。現在29歳。慶應義塾大学を卒業し、新卒でフジテレビに入社。2016年6月から現在のYouTubeメインチャンネル「三原JAPAN」を本格的に始動し、現在登録者数は100万人を突破。2019年にテレビ番組『陸海空 地球征服するなんて』内で放送された「地球上で有名な日本人ランキング」では、XJAPANより上位にランクインした

フジテレビで暴れたかった」社長にまで企画書を送りまくってた1年目

ほし:
三原さんの経歴を見てびっくりしました。

新卒でフジテレビに入社なんて、完全なエリートコースなのに…なぜ数年で退職を?

三原さん:
僕の夢は「自分の映像でたくさんの人を楽しませること」なんです。

学生時代に映像制作にのめり込んで、「TOHOシネマズ学生映画祭」という、映像制作をする学生たちの甲子園みたいなコンテストで日本一をとりました。

ほし:
すご…

三原さん:
フジテレビに入った理由も、「楽しいドラマをつくりたい!」「暴れたい!」って一心です。

でも…


ここから、三原さんがフジテレビでもがいた時期の話が始まります

三原さん:
配属されたのは、地方の系列局とやり取りをする部署。フジテレビの編成側の意向を地方局に伝える窓口だったんですよ。

だから、僕の仕事はおもに「Fwd:(転送時にメールの件名の頭に入る言葉)」を消して、編成から送られたメールを地方局に転送しまくることでした。

多い日には、1日に200件近く転送しましたね。

ほし:
うわぁ、「映像をつくりたい!」と息巻いていたのに、出鼻をくじかれたような思いですね…

三原さん:
そうなんですよ。

だから、あらゆる上司に「僕にドラマをつくらせてください!」って企画書を書いては送りつけていました。もちろん亀山(千広)社長にも。


まっすぐすぎて、ちょっとヤバい新入社員になってますね

三原さん:
入社したとき、上司からは「同期と昼食をとったりして、コミュニケーションを大切にしてください」って言われたんです。

でも僕はフルシカトして、昼休みは会社の駐輪場でひたすら企画を考えました。

朝早くに出社して企画を考えて、退社後も家で企画書を書いて…1年で100本以上は企画を出しましたね。


「うるせえ! 俺は誰よりもはやくドラマ撮ってやるんだ!!」って気概があったそうです

ほし:
その努力は報われたんですか…?

三原さん:
所属してる部署の局長がすごく優しくて、「お前がそんなやりたいって言うなら、俺がなんとかドラマ撮れるように枠をもらってきてやるよ」って言ってくれたんです。

そして、入社1年目にして、BSで深夜ドラマを撮ることになりました。

ほし:
すごい! どんなドラマをつくったんですか?

三原さん:
『ブサイクの神様』っていう、ブサイクとイケメンが入れ替わった世界のストーリーです。

コメディドラマなんですけど、最終的に地球が爆発するっていうオチでした。

予算もなかったので、監督・脚本・編集もすべて自分でやって、自分もちょっと出て(笑)。自分色が満載だったと思います。

ほし:
…その反響は?


あっ…(察し)

三原さん:
社内でお披露目会をしたんですけど、みんな頭に「?」を浮かべていました。

僕のために動いてくれた局長にも、「俺には(内容が)ちょっとわかんなかった…」って言わせてしまったんです。 その顔を見て、本当に申し訳ないことをしたなと…

みんなからは、1年目がドラマをつくることは「フジテレビ史上最速の快挙」って言われたんですけどね…

ほし:
あぁ…何事も最初からうまくはいかないものですね。

三原さん:
褒めてくれる上司もいたのですが、何かが変わることはありませんでした。

ドラマの部署の上司にも「今のフジテレビだったら、ゴールデンタイムのドラマを作るには最速でもあと5、6年はかかる」って言われてしまって。

ほし:
それを聞いて、下積みを頑張ろう!とは思わなかっ…

三原さん:
まったく思わなかったです!! (キッパリ)



三原さん:
学生時代にずーっと映像をつくってきて、成果も出してきた。

それなのに、20代でなんの映像もつくれずに、企画書を書きつづけて終わるなんて耐えられなかったんです。

5、6年間下積みすることをそのまま受け入れたら、ただの「待ち」じゃないですか。その道をショートカットして、最短距離で目的に辿り着く。その方法を探しつづける「攻め」の生き方をしたかった。

だから、「こうなったら別の方法で戦うしかねぇ!」って方向転換することにしたんです。

150万円の貯金をはたいて、意気揚々とリベンジ戦!YouTubeにはじめて三原慧悟が登場した2015年

ほし:
攻めの姿勢はゆらがないんですね。次はどんな挑戦をしたんですか?

三原さん:
ドラマで失敗してしばらくしたとき、ネットで流行ったものがテレビでも流行る「ネットファースト」という現象が話題になりはじめていたんです。そして、気づきました。

ドラマづくりに関しては先輩たちの知識に劣るけど、ネットリテラシーに関しては小学生のころからネットに触れていた俺のほうが上だぞ!って。


この不屈の精神は見習いたい

三原さん:
だから今度は「フジテレビのネット配信部門でトップを狙おう!」ともくろんだんです。

そのとき社会人2年目だったんですけど、150万円くらいの貯金が貯まっていたので、そのお金をもとにYouTubeで有名になるためのチームをすぐにつくりました。

それが「東京ちゃぶ台返し」っていうチャンネルなんですけど。


ネーミングセンス…(現在は更新されていないチャンネルです)

三原さん:
当時のフジテレビでは、ヒットしたドラマのオンデマンド配信を始めていて、公開から1週間で10万回再生されたら「すごい!」って盛りあがってたんですよ。

でも、僕はチャンネルを立ち上げてから1カ月のときに、1週間で12万回再生される動画をつくることができたんです。


やってやりましたよ(ニヤリ)

三原さん:
そして、意気揚々とインターネット配信してる部署の部長に乗り込みました。

「部長、これからはテレビ局もインターネット動画に力を入れていくべきなんです。今フジテレビで一番再生されているドラマは、1週間で10万回再生…素晴らしい結果ですが、僕のつくった動画は1週間で12万回再生されています。これは僕に仕事を任せるしかないでしょう」と。

ほし:
やや上から目線なのが鼻につきますが、今回は数字で結果を出してますし手応えあったのでは?

三原さん:
それが…バッサリ断られたんです


またしても!?

三原さん:
「君の動画は見たし、ここで活躍したいという気持ちも十分に伝わった。でも、いまフジテレビで君のやろうとしてることは、まだ必要とされていない。とりあえず下積みを頑張りなさい」って優しく諭されたんですよ。

ほし:
大手企業、手厳しい…!

三原さん:
それを言われた瞬間に、糸がプツンと切れてしまったんです。

あれ、150万円も使って何してたんだろう?」って。

僕の夢は「映像をつくってみんなに楽しんでもらうこと」だったはずなのに、気づいたら上司を説得することに人生賭けちゃってたんです。



三原さん:
それまでは「第一志望で入ったフジテレビ。ここをやめるなんてもったいない!」と思っていました。

でも二度の挫折を経て、フジテレビでの番組づくりにこだわって、自分の映像をつくれていない“今の時間”のほうがもったいないなって思うようになったんです。

20代のクリエイターがどんどんでてくるなか、自分は何をやっていたんだ…と。

ほし:
ずっと猪突猛進だった自分を、客観的に見直す機会を得たんですね。

三原さん:
はい。YouTubeでは、自分のつくった動画が評価されていました。

それがうれしかったので、フジテレビで真面目に働きつつ、YouTubeでどこまで頑張れるか試してみようという気持ちになったんですよ。

そして、せっかくYouTubeをやるなら好きなことに挑戦してみようと思って…「アイドルになろう」と決めたんです。


急すぎない?

フジテレビ社員を続けつつ、アイドルを目指す日々がスタート

ほし:
この流れで、なんで急にアイドル!?

三原さん:
僕の軸は、「自分の映像でたくさんの人を楽しませること」。

せっかくなら、自分がやりたくて面白い動画をつくろうと思って、「25歳からアイドルになるプロジェクト」を始めたんです。

自分の人生を題材にして、面白いコンテンツを世の中に発信しようと。

ほし:
「自分がやりたくて」ということは、以前からアイドルになりたいって思いがあったんですか?

三原さん:
僕はもともと木村拓哉さんに憧れていたんです。

スポットライトを浴びて、女子にキャーキャー言われるのってうらやましいじゃないですか


自供するかのように、アイドルへの憧れを語られましても…

ほし:
でも、そこから実際に台湾アイドル活動をしているんですもんね。全然バカにできない…どうして台湾を拠点にしたんですか?

三原さん:
僕がYouTubeを頑張ろうと思ったときには、すでに日本のYouTube界は飽和状態でした。

ルーキーが注目を集めるのはすごくハードルが高いし、研究する時間も必要になる。

ほし:
たしかに…今もHIKAKINさんを超えるような超新星YouTuberは出てきていないですもんね。

三原さん:
そう。だったら、日本人YouTuberが少ない“世界の穴”を探したほうがいいなと考えたんです。



三原さん:
そこで注目したのが台湾。僕自身が好きだったこともあり、実際にYouTube界についても調べてみました。

そしたら、4つのポイントで可能性があると思ったんです。


台湾YouTube界がまだ発展途上

・親日国なので日本人が受け入れられやすい

台湾で日本の情報を発信している人が少ない

・日本語を習得したい台湾人も多い

三原さん:
これなら活躍できる可能性が高いだろうと思って、台湾で活動してみようと決めました。

ほし:
この条件を見れば確かにブルーオーシャンかも…でも三原さん、肝心の中国語は話せたんですか?

三原さん:
いえ、別に話せなくてもGoogle翻訳とかあるし、なんとかなるだろうと思ってました。


語学力0からでも余裕で挑む強者。今ではようやく一般会話レベルになったそうです

台湾でビラ配りからスタート、半年後には大歓声を浴びるほどのアイドル

ほし:
中国語もまったく話せない状態で、まず何から始めたんですか?

三原さん:
「とりあえず現地行かなきゃ始まらないでしょ!」ってことで台湾に行きました。

当時の台湾ではまだYouTubeよりFacebookが流行っていたので、急いでFacebookのページをつくって、QRコードをプリントしたビラを配りまくってましたね(笑)。

台湾人の友人がいたので、「台湾アイドル目指します!」っていう紹介文をつくってもらって。

ほし:
めちゃめちゃアナログ。

三原さん:
そこからは毎日、「日本語紹介コント」や「やってみた」などを投稿していました。

フジテレビ時代に毎日面白い企画を考える習慣とネット動画を研究していたせいか、たびたびバズらせることができました。

それに、当時の台湾YouTuberには毎日配信している人がいなかったので、かなり新鮮だったようです。

半年で3万人以上のフォロワーを集めることができました。

ほし:
すごい…日本のYouTuber界では当たり前だったことが、台湾ではまだチャンスポイントだったと。

三原さん:
そうです。そして、活動を始めて半年くらいたったとき、「アイドルらしくライブやろう!」って無料ライブを台湾で開催してみました。

そしたらファンが100人弱も来てくれたんですよ!


これが当時の写真。すご…

三原さん:
もう僕が舞台に出るだけで「キャー!」「ワー!!」って歓声が上がったんです。それに感動してしまって。

すぐに「俺は台湾でトップアイドルになる!」って決心して、この興奮が冷めやらないうちに帰国した翌日に、部長に辞表を提出しました。

冷静になると怖くて決断できないと思ったので。


「もう、最高だったんですよ…」

台湾で人気アイドルとなり、公共機関に乗ったら大混乱になるほどに

ほし:
そこからようやく、YouTube一本で生きていくことにしたんですね。

三原さん:
そうです。

フジテレビを辞めてから、最初は動画制作のバイトで食いつないでいたんですけど、台湾YouTuberの事務所を経営している社長さんに「うちに来ないか」と呼んでいただきました。

そこからは、台湾人に向けた「日本語おぼえうた」とか「タピオカミルクティーの歌」をつくったり、定期的にライブをやってみたりと…チャレンジをすればするほど、チャンネル登録者数はどんどん伸びていきました。

出典 Youtube

この曲が大ヒットし、多くの台湾人が口ずさんでいたそう。ヒットがきっかけで、なんと三原さんは台湾で使われている日本語の教科書に載ることに

三原さん:
タピオカの曲もかなり人気だったので、2018年のライブで「世界一大きい600リットルのタピオカミルクティー」をつくってみたら、ギネスに認定されました。

台湾の大手ドリンクチェーンからは、「タピオカミルティーを広く世界に普及させた」って表彰されたんですよ。


こちらが証拠写真。台湾国内でもかなり話題になりました。「タピオカミルクティー」ブームの原点がここに!?

ほし:
ちなみに、今ライブをやったら、何人くらいのお客さんが集まるんですか?

三原さん:
昨年、「世界一大きいタピオカミルクティー」をつくるライブをやったときは、3000人くらいでしたね。


とんでもないことになってる



「世の中の人が面白いと思う人生を送って映画にしたい」

ほし:
いまや台湾では、三原さんを知らない人はほとんどいないくらい有名ですよね。

台湾のトップアイドルになるという目標が達成される未来も近いと思いますが、最終的にはどうなりたいんでしょうか?

三原さん:
いつか、「自分の人生を映画にして、世の中の人に笑ってもらいたい」と思っています。

僕、自分が前に出たいって気持ちが強いんですよ。


それはもうたっぷり伝わってますよ

三原さん:
これまでずっと、自分を主演にした映画を作ってきたんです。

ある学生映画祭でも、「自分の生きたいように生きたい」というテーマで賞を獲りました。

でも、そのとき審査員の人に「なんでお前の作品が賞をとれたんだ。俺はお前の体験になんか興味ないし、カメラを自分に向けるのも許せない」って言われたんです。

ほし:
それは…ひどいですね…

三原さん:
それがかなり悔しかった。でも、その人の言うこともわかるんですよ。たかがひとりの学生の体験や悩みなんて面白くもない。

だったら、「世の中が面白いと思える人生を送ろう」と決めたんです。



三原さん:
フジテレビを辞めたことも、アイドルとして挑戦していることも、自分がいつか最高の映像作品をつくるためのストーリーになる。

その作品が認められたら、次はテレビドラマや映画を撮らせてもらえるはずです。そういうチャンスの掴み方のほうが攻めてるし、前向きだなって。

そんな人生を送るために、下積み時代を捨てて、どんどん暴れることを選びました。

憧れのフジテレビに入社したあとにぶち当たった葛藤。

下積みへのモヤモヤも、もっと暴れたいという衝動も、本当は我慢して生きるほうがラクだと思います。

けれど三原さんは、自分の思いとひたすらに向き合い、夢があるからこそ増える障壁と戦いつづけてきました。

最終目標は、アイドルとして1万人を集約する「台北アリーナ」でライブをすることだそう。

こんなに台湾で活躍しているのに、ご本人が「僕、日本ではまだ全然バズらないですよね…」とぼやいていたとおり、日本での知名度はまだ高くありません。

だからこそ、臆することなく世界に挑んでいる三原さんの存在を、もっとたくさんの日本人にも知ってもらいたいという思いでこの記事を書きました。

彼の人生に面白さを感じた方は、ぜひシェアしていただけるとうれしいです!

〈取材・文=ほしゆき(@yknk_st)/撮影・編集=福田啄也(@fkd1111)〉

三原慧悟@台湾と日本でYOUTUBER(@mihara_teikoku)さん | Twitter
https://twitter.com/mihara_teikoku

三原JAPAN Sanyuan_JAPAN
https://www.youtube.com/channel/UCCBq7s8VOCyek275uvq5lYQ

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